2017年06月11日

丹沢山地の東端  愛川町の文字碑道祖神

 丹沢山地の東端・愛川町ではさまざまな文字碑碑道祖神が見られる。

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posted by echo-take at 16:37| 神奈川県 愛川町の道祖神

2017年02月21日

角を曲がれば道祖神


長野県松本市の道祖神

 角を曲がれば道祖神
 長野県の道祖神造立数はおおよそ3900基で日本一。そして長野・安曇野市には580余基の道祖神が祀られている。衣冠束帯・十二単衣の雅な酒器像が安曇野の道祖神の特長で道祖神は観光資源にもなっている。松本市も道祖神の宝庫で造立数は400基を超える。歩いた梓地区、里山辺・入山辺地区は、それこそ「角を曲がれば道祖神」という感じ。しかも双体像ね文字碑ともにバラエティに富んだ「道祖神の里」である。

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文字&男女双体像  松本市梓川梓 南北条集落センター前
南北条の道祖神 文政9(1826)年の造立。「道祖」まで文字、その続きは扇形の中の女神のひさごが大きい酒器像 130×50。扇形部分は55×40。そのにこやかな表情に参拝者の心は満ち足りる。

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文字&男女双体像  松本市梓川梓 小室公民館近く・民家の横
文久3(1863)年造立。文字は雄渾、彫りも深い。扇形の中は衣冠束帯・小袿の肩組み酒器坐像。。100×70。扇形53×28。
 ふくよかな両神で美術的にも優れている。状態も良い。像について近所の男性が誇らしげに説明してくれたこともうなずける。話は続き、「昔は子どもたちが小屋掛けでドンド焼きをした。ダンゴも作ったが、今はすべてやらなくなった」と少し寂しそうだった。それでも春の彼岸とお盆にはこの道祖神の前で「道祖神祭り」は行われているとのこと。「会費500円の懇親会だけどね」とくだんの男性は笑う。

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男女双体像  松本市梓川小室
酒器像  跪座(ぎざ)祝言像で傍らに三つ重ねの盃。道祖神祭りが行われたようで笹竹が立っていた。 

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下立田の酒器像
 雲上型。衣冠束帯・十二単衣の両神。男神の下襲の裾、女神の裳が跳ね上がっている。

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文字碑 松本市里山辺
「上手(わで)の道祖神」 美ヶ原温泉の中。島崎藤村の小説に登場した道祖神。造立時・寛政9(1797)年は男女双体道祖神。道祖神祭りで子どもたちがこの道祖神の顔や口元にカボチャをこすりつけ厄病神送りをした。そのために痛んだので文字碑に。
同じような話を辰野町でも聞いた。二月八日の「ことはじめ」の日、子どもたちは道祖神の目鼻につきたての餅を塗りつける「メッチリハナッチリ」をする。目や鼻の病気にならないように「厄病送り」をするのだ。

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男女双体像  松本市里山辺
辻堂の道祖神 バス停」「辻堂」の前 
「合掌並立像では県内最古で元禄年間の造立」と美ヶ原温泉の案内に書かれている。痛みは進んでいるが、すらりとした体型とその姿勢で魅力的。84×40

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男根・女陰  松本市里山辺
新井の道祖神(新興住宅地の入口・湯の原公園内)男根2基と女陰。碑高・右95a、中央35a、左48a。解説板に「子宝恵之神 夫婦和合之神 疫病火難水難除之神」とある。平成26年に建立された。

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男女双体像 文字碑  松本市里山辺 荒川の道祖神 兎川寺の横
「袖中握手」の酒器像で男神が手にする盃は女のシンボル状。冠を着けているが衣服は町人風。両神の着物の裾が跳ね上がっているのは下立田の酒器像」に似ている。80×75。 文字碑に「兎川寺村」の銘 90×6。

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男女双体像  松本市里山辺 
荒町の道祖神 町の大通りに面した一角に立つ。並立像で男神は繭玉、女神は宝剣?を手にしている。85×75。葉鶏頭の花に囲まれていた。

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男女双体像  松本市里山辺
林の道祖神 握手像。鳥居の下に立つ道祖神は見たことがあるが、この道祖神にはさらに「道祖神」の文字入りの幟が立っている。文化2(1805)年の造立。105×77。入山辺から「ご縁想」されたと言われている。言われれば「林村」の文字がいかにも後付のように思える。

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男女双体像  松本市入山辺 中村入口の三叉路の石仏群の中
北入中村の道祖神 像はリアルな描写。ふくよかな姿態の肩組み酒器像。天保15(1844)年の造立。105×95 円56×63 像高55a。

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文字碑(105×75) 松本市入山辺 
 双体像の隣に立つ碑の文字を読もうとしたら、「祖道神」「北入村中」と刻まれている。興奮した。
下調べではこの文字碑についての資料には出合っていなかった。今回の「めぐり」での“思いがけない出会い”・《収穫》・《喜び》だった。
 

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宮原の道祖神  甍の上に鬼面を飾り 菊花紋が付いている権現づくりの神殿の中の肩組み握手像が施錠された覆い屋の中に収まっている。天明6(1786)年の造立。その台座の下に抱擁像。本体の両神の表情は《憤怒》ともとれる。縁結びの神として広く知られている霊験あらたかな道祖神らしい。「高遠の石工孫右エ門の作」で「下段の彫刻は、彼の創作にして、その技巧たるや、天下逸品というべし」と掲額(昭和27年宮原村中)の解説文にある。




posted by echo-take at 10:31| 長野県 松本市の道祖神

2017年02月09日

書体が独特な文字碑道祖神

道祖神の里めぐり  伊勢原市池端の道祖神

文字碑道祖神  「道祖神」の三文字は異体字、「祖」の旁の「且」は「一 口 一」。「神」の字の旁「申」は木の葉か亀の甲に見える。女陰の抽象化ともとれる。銘は右側面「嘉永3(1850)庚戌年仲春供養」とある。左側面に「池端惣邑氏子中」。65×18 五輪の塔を組みなおしたもの7基。 伊勢原市池端741付近
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文字碑道祖神 「道祖神」の文字が図案化されている。「祖」の旁の「且」は「旦」。右側面「文化十五(1818)戊寅年四月吉日池端邑氏子」 左側面には「補助賀川安右衛門、城所治右衛門 願主大沢貴重良」の銘。70×24 。五輪の塔の一部も。 蔵福寺の右脇の山裾(駐車場の入口近く)
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文字碑道祖神  この碑も道祖神の祖の旁「且」は「一 日 一」と報告されている(『路傍の神様』川口謙二著・1968年)が、剥落が激しく「神」の字体だけがかすかに見えるだけだった。右側面に「旹 文政6(1823)年」の銘。「旹」は異体字で「時」のこと。新たに造立された男女双体道祖神には「施主 平成十二年四月吉日青木武成」と刻まれている。70×65 崩れた五輪の塔10基ほど。 池端久保公園入口
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 池端地区のこれら三基の文字碑道祖神の造立は、いずれも1800年代の前半である。図案化された文字、そして「祖」の旁の「且」を「一 口 一」、「旦」、「一 日 一」とそれそれが刻んだ。それらに造立者(講中)の「オラホーのセイノカミさんは他所のより立派だべー」という競争心を感じたのだが。「一 口 一」は秦野、そして二宮でも見ている。その意味を知りたいのだが…。

男根型道祖神  伊勢原市池端  県道44号線のドラッグストアの向かい側
 街中の民家の一角に石塀で囲まれるようにして立つ。「道祖神」の銘がある。男根を思わせる堂々たるもの。台石から測れば90cmほど。造立年は不明だが、上部の丸石の部分だけ載せたように思えるので昭和年代に再建されたのではないか。奥にその先代と思われる文字碑が祀られている。
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posted by echo-take at 13:24| 神奈川県 伊勢原市の道祖神

2017年02月04日

「魔よけ」として文字に朱を注す 

道祖神の里めぐり                         
丹沢山塊の裏(旧津久井町)の道祖神 相模原市緑区

荒井の道祖神 ・双体 ・自然石(奇石)  鳥屋1762
荒井地区を流れる串川の上流。高さ10bほどの擁壁の続きの土手に立つ。(杉の大木の根元)
川岸からは近づけないので小林孝夫さん宅の庭を通してもらった。道祖神が祀られている場所は小林宅の裏庭の続きなので、護持は小林さんがされているらしい。「護岸ができるまでは、子供たちがこの下で水遊びをよくやっていた。いたずら坊主がいて、この道祖神を川に放り投げたりして喜んでいた。それで私が川から担ぎ上げ元に戻したんだけど、大変だったよ」と小林さん。子供も少なくなり、ドンド焼きは川向の「御屋敷」と一緒に行っているとのこと。双体像は摩滅が進んでいるが初期の僧形合掌像に見えた。
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鳥屋の道祖神  ・石棒 ・文字碑  鳥屋郵便局近くの鳥屋諏訪神社境内
男根状石棒 丈60cm
 諏訪神社本殿の右側に男根形の石棒が鎮座。形状から縄文時代の石棒と思われる。
神社の裏山に続く地に寺原遺跡(縄文時代の集落)が出土している。
私が住む寺山でも、昭和10年に縄文中期の住居跡から石棒(立石)が出土し、研究者の間で注目された。わが国では古代から立石と陽石は信仰の対象として祀られていたようだ。
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文字碑 「道祖神」の文字に朱が注してある。「朱・赤」は「生命再生」「魔よけ」の色である。「天保二(1831)年」の銘 碑高45cm
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並置されているのは文字碑道祖神だが銘は読み取れない。

青野原の道祖神  ・双体 ・文字碑  バス停「青野原」の近くの四つ角。「どうし道」沿いに立つ。
男女双体像 男神は筒袖の着物。女神の髪型や表情、元禄袖などから見ると素朴な子供の合掌像に見える。上部に注連縄と三枚のシデが刻まれている。西相模では見られない塔。銘は「明和九(1772)天壬辰正月吉日願主当村中」35×34  
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文字碑 正面に「奉勧請道祖神」と刻まれている。「奉勧請」というな銘を持つ道祖神に初めて出合った。左面は「宝暦七(1757)丁丑年五月」、右面「郷中若干人」 43×20
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三ケ木の道祖神  ・文字碑 相模原市緑区三ケ木(ミカゲ)127
文字碑 銘は「天保十(1839)年巳亥正月吉日 願主当所於立」。男根形の自然石。
隷書体で、道祖神の「祖」の文字が男根を表している。文字に朱が注してある。自然石で103×60
国道412号の青山交差点の近く。三ケ木から青山に入り直ぐ。厚木に向かって左側の道沿いに立つ。
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青山の道祖神  ・文字碑  相模原市緑区青山3078
文字碑 道祖神の「祖」の文字が男根。字体は三ケ木の道祖神に似ている。銘は「天保九乙(1835) 年4月□日 宿中」
この碑にも朱が注されている。自然石・70×45
 国道412号の青山交差点近くの八阪神社の鳥居の右脇
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 三ケ木と青山の象形文字風の「祖」の文字碑と同じようなものは、山梨県北杜市でも見られる。
  
posted by echo-take at 13:45| 神奈川県 旧津久井町の道祖神

2016年09月23日

子孫繁栄を願う道祖神

蓼科湖畔の道祖神  茅野市北山 蓼科湖畔
 男女双体道祖神 神祇系直立像「昭和35(1960)年1月14日」の銘。しっかりした小屋掛の道祖神で「縁結び道祖神」と表札がある。半浮き彫りで、男神は笏(野球のバットのような長い形をしている)、女神は宝珠。なぜか目と口が白の彩色。子供のころ読んだ漫画「冒険ダン吉」が浮かんできた。
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北大塩の抱擁(接吻)道祖神  茅野市米沢 北大塩   
男女双体道祖神 銘は無い。おそらく江戸時代の造立だろう。
 絡み合っている足、片肌脱ぎの女神、男神の表情や女神の肩にまわした両手などおおらかな造形。供えられていたのは子がいっぱい付いた根ショウガだった。90cm×55cm 像高45cm
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 《子宝》をイメージした男女双体(抱擁)道祖神は群馬、長野で多く造立されている。(秦野では見られない)
 
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文字碑道祖神90cm×45cm と男女双体直立像も並立
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 山寺地区の頬かむり道祖神   茅野市豊平 白山神社前
 男女双体道祖神 握手像 女神は御高祖頭巾に似たものを被っている。男神も被り物をつけているが、顎の下で結ばれた紐からすれば防寒頭巾だろう。初見である。ここの小字名は「山寺」。冬の八ヶ岳颪を想像する。子供のようにあどけない表情、不細工に握られた手。道祖神はその地の風土と生活を今に伝えてくれる。
アーチ形に加工された石をアーチ形にくり抜き像が彫られている。台座に「道祖神」「文化三(1806)年」の銘。
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 南大塩の子宝道祖神  茅野市豊平 南大塩
  陽石(子宝道祖神)48cm×35cm
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 次は傍らの案内板の文(南大塩区設置)

 子宝道祖神(道祖神の奪い合い)
 昔、上辻の組ではどの家も子宝に恵まれていた。ところがすぐ下の小窪辻(千本木辻)の組では反対に子供が少なく、他家からの養子縁組が軒並みであった。小窪辻の人達はこれは道祖神のせいかもしれない。あれをそっと貰ってこようということで、上辻の道祖神の傍らにあった石棒に似た石を掘り出し密かに小窪辻の道祖神の傍らに祀ると、小窪辻は子宝に恵まれだした。
一世代経って上辻では、子供の不幸が続くことで苦労したことから、以前あった石の神様が小窪の辻に祀られていることがわかり、返してくれるように頼んだが、なかなか返してくれない。とうとう奪い返したのが現在の道祖神であるという。(伝承)

 陽石の隣に立つのは男女双体道祖神 握手像 摩滅が著しい。バナナが供えられていた。77×45 像高35
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 南大塩の道祖神   茅野市豊平 南大塩
 双体道祖神 肩組み握手像  (向かって左) 神祇系の肩組み握手像は珍しい。花(火)頭窓の中。短躯でかわいらしい。70cm×50cm 像高30cm 蜂の巣があり近づけなかった。過去にも身延町、松本市里山辺で足長蜂の巣に出会った。
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 (中) 男女双体握手像。表情は童子を思わせる。うつむき加減で優美な姿態。銘は明治三十五(1902)年一月吉日  70cm×43cm 像高45a
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 (右) 合掌像だが摩滅が激しい。

南大塩公民館の道祖神 茅野市豊平 南大塩公民館前
 男女双体道祖神3基 握手像 3基の土台には「明治十八(1885)年十二月吉日」の銘がある。
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 向かって(左)男女双体像 右に立つ女神は酒器を手にしているように見える。75cm×45cm
 (中) 双体像だが男女双体とは判別できないほど痛んでいる。
 (右)男女双体像 男神が女神の手を取り先に歩く“道行道祖神゜とでも言えそう。米子市淀江町福平で見た「燭代を手に男神が女神を導いている像」を思い浮かべた。残念ながら摩滅が進んでいる。完全な姿のものを見たいと思った。明治六(1873)年造立 60cm×35cm
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道祖神は性ノ神
今回の「里めぐり」で、「ご縁想=道祖神盗み」に関わる五つの塔碑に出会った。その中で南大塩の子宝道祖神、北大塩の接吻道祖神は子孫繁栄を願う「性ノ神・夫婦和合の神」だった。
道祖神は「サエノカミ」または「サイノカミ」とも呼ばれる。(秦野では「セエノカミさん」) その「サエ・サイ」を文字で表すと「塞」「歳」「才」「賽」「財」「幸」「妻」「障」、そして「性」。これらの「サイ」を刻んだ文字碑道祖神が実在する。

          


posted by echo-take at 11:02| 長野県 茅野市の道祖神