2015年02月08日

みやびな男女双体道祖神

道祖神の里めぐり 長野県東筑摩郡山形村   2014年8月27日  

 みやびな男女双体道祖神 
 みやびな道祖神と言えば安曇野が知られているが、松本市の隣り(松本平の南端)に位置する山形村も道祖神が村の売り物。田園風景の広がる村内には40体ほどの道祖神があり、特に男女双体道祖神には、優雅な宮廷生活を思わせるものが多い。
山形村は人口約9000人、特産品は蕎麦、長芋、アスパラなどの農産物、そして江戸時代に祀られた道祖神。村の公式HPには「山形村の道祖神」のページがある。
その山形村13の双体道祖神をこの夏訪ねた。その時の順路で道祖神を紹介する。
※「 」は山形村が名づけた道祖神の愛称。( )は碑の所在地

1 「車屋美人」(下竹田唐沢) 弘化2(1845)年 
 男神が盃、女神が座って酒器の片口を持つ祝言像。立っている男神、座っている女神の道祖神は初見。跪座(ぎざ)祝言像と言うのだそうで安曇系。
 しっかりと手を握り合っている二神。蓮の花が添え彫りされているから仏教系道祖神」と解説されているが、私には蓮花は見えなかった。ふくよかな面立ちの女神。髪も豊か。「竹田村車屋中」の銘があるので「車屋美人」。

  11.jpg


2 「路傍の情熱」(下竹田中通り 建部神社境内) 
 右手で女神の肩を引き寄せる男神。女神が衣の裾を少し広げている。名づけて「路傍の情熱」。男神が情熱で迫っているような姿勢。それでいて両神は何かを待っているかのように正面をみている。
 
  2jyonetsu.jpg
  

3 「童歌」(下竹田中通り 建部神社境内)
 その幼い表情から「わらべうた」のネーミングを持つ双体像が立つ。波田盛泉寺から力士・岩の松が力自慢で担いできたと言われている。その後も村の力石として辻々に転々としてきたのをここに祀った。道にでも迷ったのか女神は下向きで哀しそうな表情。その女神にたくましい顔の男神が付き添う。道祖神は子供を守る神。「二体地蔵」と言う人も。「路傍」と「童歌」の間に青面金剛・三猿の庚申塔が見える。

  3warabe.jpg


4 「小人のささやき」(小坂中原町)
 身の丈は小さいがその姿態からささやきが聞こえてくるようだ。塔の上部が広いのはそこに文字が刻まれるはずだったのかもしれない。あるいは刻まれているが摩滅してしまった?傍らに陽石も立つ。

  4kobito.jpg 


5 「筒井筒 中大池」(中大池上手東) 寛政7(1795)年
  男神は折り烏帽子、女神は長い垂髪を束ねている。貴族スタイルの肩組み握手像。体も足も双神はぴったりくっつけ、お互いに肩に手をかけ、女神が男神の手をしっかりと握っている。

  5tsutsunaka.jpg 


6 「大池の頭領」(上大池中耕地) 嘉永5(1852)年 
 「頭領」と名づけたようにその容姿は堂々としたもの。大地主さんか。衣冠束帯・十二単衣の肩組み握手像。塔の高さ185cm 幅は170cm。背後の城壁の土蔵を持つ民家の建立したものが。大きな浅間大神と蚕玉守護神の碑も。

  6toruo.jpg


7 「袖中祝言」(上大池青木沢東) 嘉永4(1851)年
 「袖中祝言」。このような双体像があるとは知らなかった。「袖中祝言」と名づけられたものは、男神の右手と女神の左手が袖の中で結ばれているから。村のHPの解説では「容貌、風姿、着付けから見て村の長老の印象」とある。女神の重ね着の小袿(こうちぎ)の裾が跳ね上がっているのも珍しい。男神は杯、女神は土瓶型の酒器を持っている。「青木講中」の銘。「袖中祝言」と「つつましき女神」同じ石工によるもの。
 制作した年が一年違う(嘉永4年と5年)ため、「袖中祝言」では跪いていた女神(跪座祝言像・上)が、「つつましき女神」(横)では立ち上がって抱肩握手像になった。

  7sode.jpg 


8 「山口の丸髷」(小坂山口) 正徳5(1715)年
 昔は信州では「道祖神盗み」という習俗があった。これを「嫁入り」とか「御縁想」と言う。安曇野と辰野でもその話を地元の人から聞いた。この「山口の丸髷・まるまげ」は山形村の隣り朝日村から嫁いできた
とのことだ。(詳しくは別項で) 
 この双体像が道祖神盗みに遭った理由は女神が丸髷ということらしい。いや握手像としては日本で2番目に古い像だからだ。   
 女神がややうつむき気味に男神と向き合い手を重ね合っている。正徳5(1715)年の造立ということで、摩滅が激しく“昔の面影”(特に男神)は想像するしかなかった。

  8yamaguchi.jpg


9 「つつましき女神」(小坂大日) 嘉永5(1852)年 
 解説では「『大池の頭領』と同じ石工の作」、「男神が積極的に女神の手を握っているため、こう名づけた」。肩組み握手像だが、握手というより男神の大きな手が女神の手を包み込んでいるように見える。 
道祖神を中心に庚申塔、二十三夜塔、一石一字供養塔、回国供養塔、六字名号塔、如意輪観音などが祀られている。道祖神への信仰の深さをこの並び方で知った。

  9.jpg


10 「素足の道祖神」(小坂日向) 寛政7(1795)年 
 双神は大きな碑石の向かって左側に彫られている。他の双体道祖神に比べ華麗さや優雅さがなく、中が狭いと言わんばかりの大男と大女の姿。貴族スタイルではあるが、顔つきや体つきから生活の匂いと躍動感を感じる素足でちゃんと足の指まで刻まれている。碑の高さ120cmほど。女神のほうが積極的に見える。

  10suashi.jpg


11 「筒井筒」 小坂(小坂殿) 寛政8(1796)年 
 塔の高さ160cmほど。双神の身の丈はおおよそ60cm。衣装は細部を省略しておおらかな風姿。伏目がちの女神が印象的。平安時代のみやびな宮廷人の生活を思わせる。女神の手が上の肩組み握手像。私はこの双体がもっとも気に入った。

  11tsutsykosaka.jpg


12 「酒樽」(小坂下北沖) 嘉永2(1849)年
 男神女神が立つ土台に酒樽が浮き彫りされている。「袖中祝言」像。祝言だから酒をたくさんふるまいたいという願いからか。女神は土瓶状の酒器を、男神は胸に奉書を抱えている。の左右を削り男根状にしている。
「酒樽」は後年(大正12年)になって追加彫りが施されたと、最近になって解明されたそうで、145cmほどの碑石の向かって左側の側面を削り形状を陽石(男根)にし、夫婦和合の象徴にした。像は「.車屋美人」と同じ跪座祝言像(安曇系)。

  12sakadaru.jpg
  
13 「筒井筒 下大池」(下大池 下大池公民館前) 寛政7(1795)年
 山形村の公式HPの解説は「つぶらな瞳で鼻筋の通った優雅な顔立ち、若さと初々しさを感じさせることから、「幼なじみ」という意味をこめて『筒井筒』と名づけられた。肩組み握手像で女神の手が男神の手を包む。彫像は大変優雅な作で、その拓本が1956年パリでに紹介され、浮世絵以来の好評を博したそうだ。村の解説には「その美しさは早くからフランス、カナダ、アメリカなど海外まで知られた。山形村のというより信州の、いや日本を代表する道祖神である。」とある。この道祖神は柵で囲まれ「拓本厳禁」の立て札が立っていた。
 道祖神を眺めていたら下校時の中学生(鉢盛中学校)の誰もが元気よく挨拶してくれた。今回の山形村の道祖神めぐりも満ち足りた心で締めくくることができた。

  13tsutsudhimo.jpg


posted by echo-take at 09:14| 長野県 山形村の道祖神