2016年09月21日

洗馬上町(上組)の道祖神は朝日村芦之久保から「ご縁想」

1 洗馬上町(上組)  塩尻市洗馬(セバ)
男女双体道祖神 握手像 商家の夫婦のような衣装と立ち姿。この道祖神は、朝日村芦之久保から「ご縁想」されたもの。銘は「古見村蘆野久保講中拾□□」それ以下は読めない。そして「道祖神正徳五乙未(1715)十月卯」とある。74cm×60cm 像高50cm seba1.jpg

 オラホーの村が栄えるように、と繁栄している村の道祖神を自分の村のものにする行為(道祖神盗み)は明治年代まで長野、群馬、静岡、鳥取など各地で行われた。そのことを長野では「道祖神の嫁入り」とか「ご縁想」と言っていた。
 朝日村の項で取り上げているが、芦之久保の道祖神場に「ご縁想」について解説板がある。それによれば「蘆野久保講中」は @正徳五乙未年十月卯日に第二代の道祖神を建立したが、A寛政七卯(1795)八月六日夜、 (現・山形村) 小坂村山口地区に「御縁想」。それでB同年十一月十三日に三代目を建立した。ところがC天保十三壬寅(1842)年二月七日夜、本洗馬村上町(現・塩尻市)に「御縁想」。D今の道祖神は四代目である。写真→左は山形村に現存する二代目双体道祖神・「山口の丸髷」と呼ばれている。ここ洗馬上町(上組)の道祖神は芦之久保の三代目。写真下は芦之久保の道祖神(四代目)
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男女双体拱手像 雲上神・衣服は神祇系。男神の大きな耳。(銘)明治二十年星次丁亥(1887)春三月再興 洗馬上町中 120cm×130cm 像高48cm
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2 高日出神社前の道祖神  塩尻市広丘高出 高日出神社前
男女双体道祖神 肩組み酒器像 ふくよかな表情で写実的な彫り方。碑の右辺に「天保年中二月日(1830〜1844)」とあるが、造立年の銘「天保年中二月日」は変った表記で理解しがたい。市教委の『塩尻の道祖神』には「碑身自体が奇抜な形をしており、記年名も変っているし、御幣の刻み方にも特長がある」と書かれている。
 諏訪地方の男女双体道祖神には、大きな御幣が《相合傘》のように彫られているものがある。この塔も両神の間に立った太い柱の紙垂(シデ)が両神を包むように垂れ下がっている。100cm×90cm 像高50cm
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文字碑道祖神 同所
彫りの深い堂々とした文字碑。98cm×90cm
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3 堅石三社の道祖神  塩尻市広丘堅石(カタイシ) 堅石三社境内
男女双体道祖神 花頭窓の下に納まる。肩に置かれた男神の手を女神が握っているが慎ましやかで品が男女双体道祖神・肩組み握手像。 80cm×40cm 像高42cm 
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文字碑道祖神  裏面の銘は「天保十五辰(1844)十一月八日」と「帯代五両」。帯代とは「ご縁想・道祖神を盗っていくなら、帯代(結納金として)五両をいただく」という警告。上記の洗馬上町の「ご縁想」と同じ趣旨。「帯代」が文字碑に刻まれているのは珍しい。初見である。一部地中に埋まっている。90cm×40cm
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4 原新田の道祖神  塩尻市広丘原新田(ハラシンデン) 津島神社 山神社境内
文字碑道祖神 裏面に「弘化五戌申(1848)二月日」「帯代五両 原新田邨」と刻まれている。堅石三社境内の文字碑道祖神と同じ趣旨。堅石のものは1844年、こちらは1848年と造立年が近い。多分「ご縁想」が盛んだったのだろう。この碑は半分に折られ修復されている。80cm×35cm
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男女双体道祖神 肩組み酒器像 男神女神が手にしている酒器は男女のシンボルのように見える(地元の人の話)。大正六(1917)年 原新田中の造立。塩尻市内で大正時代に造立されたのはこの一基のみ。 78cm×70cm 像高40cm
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posted by echo-take at 08:45| 長野県 塩尻市の道祖神