2014年05月04日

越後もまた道祖神の宝庫

武勝美の道祖神めぐり 新潟・湯沢町、柏崎市 2013年8月26日・26日

越後もまた道祖神の宝庫 

8月26日 この旅は南魚沼市浦佐に眠る友人・大竹さんの墓参。また、妻の学友のSさんを同市五日町に訪ねる(54年ぶりの再会とか)。夜は小出まつり花火大会を楽しむ。 
 そこから少し脚を伸ばして新潟・柏崎市の道祖神めぐり。資料によれば柏崎市の道祖神碑は県下では栃尾市に続いて第2位の造立数で、88塔が確認(平成5年調査)されている。
 寺山を5時出発。新潟・湯沢町歴史民俗資料館見学。館の近くの道祖神1塔を紹介されたので尋ね歩き運よく発見。
1yuzawa.JPG
 萩森大神 風神 馬頭観音 不動明王 名号塔などと共に祀られている。

8月27日 この日は午前10時から柏崎市立博物館の渡邉学芸員さんにお会いし、市内の道祖神についてお話を聞くことになっていた。それで事前にいくつかの道祖神を見ておくのが礼儀と思い、朝食抜きでホテルを6時30分に出る。(朝食はある程度目的を達成しところで、ということ。)
 最初に訪ねたのは谷根(たんね)地区。谷根は柏崎市の西部で名峰米山(「米山さんから雲が出た」の名調子で有名な「三階節」や「米山甚句」に歌われ、広くその名が知られる山)の東の麓に位置する。
 
 柏崎市谷根地区 草鞋が奉納される道祖神
 福祉施設「たんねの里」の前を流れる川の対岸に立つ男女双体道祖神は明治23(1890)年の造立。地元では「脚の神」でもあるので草鞋が奉納されていた。祝言握手像でコモを被っているのも珍しい。像には小豆飯が供えられ、ススキの花穂が飾られていた。聞けば、前日が諏訪神社の祭りだったそうで、その祭りでは、赤飯とススキは必ず道祖神に供えるのだそうだ。 2waraji.JPG
 道祖神は脚の神 草鞋が奉納してある
 
 谷根神社境内には2塔の道祖神が祀られている。そのうちの1塔は肩を寄せ合っている祝言像。正面に「石工 源之丞」と記名があるのは、この作品に自信を持っているためなのだろう。浮世絵を思わせる浮き彫りは、美術作品のようだった。もう一つは肩組み握手像。この2塔は天目塔や水神などと並置されていたが、いずれにも穂ススキが供えられていた。3-1.jpg                      
レリーフのような男女双体道祖神

柏崎市山口地区
 次に探したのは「首と寸」で「道」(いわゆる異体字)を表していると思える道祖神。資料にある地名で探したが見つからない。大きな構えの農家のご夫妻がこれから軽トラで野良に出かけようとしているのを発見。道祖神の在り処を聞いた。
 写真を見てもらったら「この道が県道にぶつかる辺りで見たことがある」との言葉をもらう。道祖神祭りはもう行われていないので、地域の人たちにとっても道祖神の存在は消えかかっているようだ。教えられたとおり車を走らせたら、道祖神さんはいらっしゃった。だが猪よけの電気柵が張り巡らされている。それをどうにか乗り越え、持って行った秦野の酒『白笹つづみ』を酌み交わした。傍らに「百八十八番供養塔」が立っていた。
4-2.jpg 5188.jpg
 首と寸で「道」異体字 坂東33・西国33・秩父34の観音で100 それに四国88札所で188カ所巡礼


 祀り 焼かれる人形道祖神
 9時半過ぎ、柏崎市立博物館に渡邉学芸員さんを訪ねる。約束の時間より少し早かったが、快く迎え入れてくれた。「谷根の道祖神を見てきた」と言ったら、「ぜひ行ってほしい、と勧めるつもりだった」と喜んでもらった。渡邉さんお勧めの道祖神の写真や地図などをいただいた。
 柏崎の道祖神碑の数は秦野の310塔と比べれば少ない。しかし、柏崎など越後の集落では「人形道祖神」が祀られている。渡邉さんのご好意で資料収納室に入らせてもらう。博物館の舞台裏とも言える場所を見学したのは初めてである。そこには、木や藁、紙などで作られた道祖神がたくさん保管されていた。
 これらの道祖神は、小正月のサイノカミ焼き・ドンド焼きに祀られ、そして燃やされてしまう。存命は数日の神である。ドンド焼きで燃やされる道祖神は、私たち人間に降って湧いた災難や病気を一身に受け入れてくれる神で《人形・ヒトガタ、形代・カタシロ》だから焼かれる。「一回性を原則とした道祖神・焼かれる道祖神が、恒常的な神像・石造の道祖神にと変化していった」と渡邉さんは話された。越後には、道祖神は厄病神だからドンド焼きで焼く地区もある。そこからやがて「平穏で幸せに暮らせるように」と願う神として石造の道祖神は生まれた。ちなみに、柏崎最古の道祖神は文化3(1803)年で秦野は寛文9(1669)年が初出である。
1時間半ほどの渡邉さんの話は興味深く、しかも楽しいものだった。渡邉さんの部屋のの窓の向こうに日本海が青く広がり、佐渡が見えた。
6wara.jpg 8wood.jpg
9.jpg 10.jpg
12.jpg
 柏崎市立博物館を辞し外に出たら朝の天候と打って変わり真夏日。渡邉さんからいただいた詳しい資料も加わったので、これからの道祖神探しは楽になると思った。


 目指す道祖神にお会いするにはかなりの労力が
 道祖神めぐりを始めて分かったことの一つが道祖神の在り処はそうたやすく発見できないということ。その理由は
@開発により移されたり、不明になっている道祖神があること。
A道祖神祭りが行われない。あるいは縮小を余儀なくされているので、地域の人たちにその存在が忘れられ始めていること。
B道祖神の資料集は発行されているが、所在地が明記されていないこと。
こうしたことにより、尋ね当たるまでにはかなりの労力を要する。だから対面できたときの喜びはことのほか大きい。
 先ず探したのは旧広田地区(引地) の「通称・三社宮=正式・天照大神社 付近の道祖神」。「三社宮の下・K氏宅の左横土手」と記録されているもの。神社はすぐに見つかったが道祖神は見当たらない。目標のK氏宅はすでに生活が放棄されていた。
ようやく出会えた小学生を持つお母さんが、真昼の暑い中を現地までご一緒してくださった。K氏宅の右横の土手、生い茂る夏草の陰に道祖神は祀つられていた。「一年に一度しかお参りしないので」とすまなそうに言う案内のお母さん。この道祖神は、地域の子どもが『サイノカミ祭り』を行うということで知られている道祖神。ほそぼそだけど今も「サイノカミ祭り」は続けられているとのこと。少子化の影響がこんなところにも表れている。
13dan2.jpg
「女神が手にするのは男根。二神の裾が合わさる部分は女陰をかたどる」と解説されている双体像 


 「神奈川から道祖神を見に」は絶大な効力
 次は、同じ地区に立つ「元北条中学校寄宿舎裏手の道祖神」を訪ねた。寄宿舎と思われる建物はすぐに見つかったので裏に回る。だが道祖神は見当たらない。それでまたご近所のお宅のインターホーンを押す。50代と思われる女性が出てきてくれた。訪問販売か布教と思われそうなので「神奈川県から道祖神を見に(お参りに)来た」と先ず言う。この「神奈川から道祖神を」は絶大な効力があって、「まあ」「ご苦労様」という言葉が返ってくる。
14kishikushya.jpg
 資料にある「真裏」は、建物から30メートルほどの真後ろの段々畑の畦道に立っていた。寄宿舎からは見えない高さ。神祇の祝言像で、地元の人たちに「耳の神さん」とも呼ばれている。「耳の神」は子どもの耳の病気「ミミダレ」を治す神のこと。谷根地区の「こもかぶり道祖神」は「脚の神」で、これは〈脚気〉を治してくれる神。秦野の道祖神は「万病を直す神」だが、こちらは専門医。三猿の庚申塔、五輪の塔も祀られていた。
 続いて大広田地区の「屋号・サイノカミ宅前の道祖神」を探す。ここでも「神奈川から」と驚かせ、すぐにたどり着くことが出来た。地区の中心・県道も走っているので木の祠の中に安置されていた。肩組み・祝言像で明治9(1876)年の造立。「屋号」とはその地域の人たちだけが分かる家の通称(呼び名)。その呼び名に「サイノカミ」が存在するということは、それだけサイノカミ(道祖神の別称)が地域の生活に密着した神であることを示している。
15koshi3.jpg

 さらに「大広田公民館〜I宅の間・F氏宅上の旧道 堂の中」と記録されている道祖神を探す。公民館とI氏宅の間の道を何度も往復したが見つからない。それで、Iさんの玄関に立つ。Iさんは昼休み中だったが《珍客》に大変興味を示され「道祖神は知らないが観音さんならこの先にあるから」と案内をしてくれた。記録にある公民館とは「旧公民館」のことで、旧公民館とIさん宅の間の道路の擁壁にコンクリートの祠があり、そこに探していた道祖神は祀ってあった。子孫繁栄を願い、男神が女陰、女神が男根を手にするという野趣溢れる双体道祖神だった。
16kominkan.jpg

 ここで今日の探訪は終わり。越後川口SAで遅い昼食。JR越後湯沢駅構内の日本酒ショップ「ぽんしゅ館」の利き酒コーナーで5銘柄を試飲?
posted by echo-take at 16:45| 新潟県 柏崎市の道祖神