2014年08月14日

猿田彦面を飾る道祖神石祠

道祖神の里めぐり  2014年4月4日 山梨県中央市 
      
 猿田彦の面を飾る道祖神 (関原地区・旧豊富村)

 
 山梨県中央市に「猿田彦」の面を彫った珍しい石祠道祖神があることを知り、今回の「道祖神の里めぐり」はこの地にした。
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 集落のはずれにある小さな塚、そこに立つソメイヨシノは見ごろだった。その樹下に尋ねた石祠道祖神は在った。台座正面に「猿田彦命」、右に「文化十三丙子霜月吉展」(1816年)と記されている。祠は波風作りで飾りに猿田彦の面が左右両面に彫られている。
 猿田彦は天狗の原形ともとらえられる神。伊勢一の宮猿田彦大本宮・椿大神社の絵馬に描かれている猿田彦は、眼光鋭く鼻はまさに天狗である。
 ところがこの祠に飾られている猿田彦の面立ちはふっくらとして穏やか。祠の中には丸石、あるいは陽石と思われるものが鎮座している。

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       猿田彦の面が左右に 
 
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   台座に猿田彦命の銘 祠の中に丸石

 石祠の右に自然石の文字碑道祖神が立つ。この石碑の上に年代がまったく異なると思える灯篭の火袋が載せられていた。
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  水上、川東、浅利の4塔の双体道祖神にも献杯  
 山梨の道祖神は甲府盆地を中心に丸石が圧倒的に多い。中沢厚著「山梨県の道祖神」によれば、「甲府市域を中心にした平坦地には双体道祖神は二体」しかなく、「その二体が中央市浅利地区にある」とのこと。それで豊富郷土資料館を訪ねた。末木館長さんから資料をいただく。その資料で豊富地区に7塔の双体道祖神があることがわかった。その中の数塔の在り処への道を教えてもらう。
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  中央市関原の道祖神 遥かに八ヶ岳連峰が 
     水上地区は船型握手像で寛政3(1791)年の造立
 
 「シルクの里」の道祖神らしく 
 川東地区のものは破風作りで肩組み握手像だが、双神の肩にから足元にかけて幅の広い布のような物がかかっている。明和6(1769)年の造立。丸石も祀られている。この道祖神の傍に「蠶(蚕)影山(こかげさん)」の立派な石碑。この地区は今「シルクの里」をキャッチフレーズにしてまちおこしをしている。今も養蚕農家が存在しているとのこと。
 山梨県甲府盆地の東部地方では、集落の辻に道祖神と共に「蚕影山」と文字を刻んだ石碑が祀られている事が多い。この「蚕影山」は、山梨で養蚕が盛んに行なわれるようになった江戸時代中期から、養蚕の神様として信仰を集めてきた。本社は茨城県つくば市神部の蠶影神社。旧豊富村には分社された蠶影山神社があり、現在でも厚く信仰されている。双体道祖神が布を掛けている訳がわかっるような気がした。
いずれの道祖神場も竹に注連縄、御幣の竹筒、灯明などが神前に残されていて1月の道祖神祭りの余韻を感じた。

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川東地区は破風型肩組み握手像 肩から足元へ豊かな布が

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       傍に「蠶(蚕)影山」碑 
 
 合掌双体像1塔と3基の石祠道祖神 ―― 諏訪神社境内 
 浅利地区の諏訪神社境内には露座の合掌双体像(銘はなく傷みが激しい)が1塔、3基の石祠道祖神が祀られていた。その中の一基・横町組の石祠は明和3(1766)年で双体道祖神が収まっていた。中沢さんの言う「双体2神」はこの2体。道祖神のそれぞれに護持している集落名(北村組、上手組、横町組、西村組)の立て札が立っていた。
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         諏訪神社境内に集められた道祖神 

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         露座の双体像(北村組) 

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     祠内に双体像を持つ(横町組) 
 
 廻國巡礼供養塔に初お目見え 
境内には三猿・日月・六臂の青面金剛像の庚申塔、地蔵菩薩、水神祠、秋葉神社祠、馬頭観音、蠶(蚕)影山などの石造物も祀られている。その石造物群の中に円筒状の碑があった。中ほどで折れているが刻まれている文字は読めた。
 中央に「大乗妙典日本廻國供養塔」。右に「天下泰平」、左に「日月清明」と記されている。これは「六十六部」と呼ばれる供養塔である。56億7千万年後、弥勒菩薩は釈迦如来に代わって仏となり、私たちを救済してくれる。その時まで経典(法華経)を全国に分散保管して菩薩の出現を待つ。そのために自ら書写した法華経を全国66カ国の社寺に納めて廻る行者は「六十六部」と呼ばれていた。
 その「廻國巡礼」が完了・結縁したとき建てられるのが廻國巡礼供養塔である。秦野ではこの供養塔にはまだお目にかかっていない。他所でも今までに対面する機会はなかった。その塔にこの地で出会えた。
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 「薬袋」姓に出会う
 この諏訪神社は平成16年に再建されたようで、再健に尽力した氏子の氏名板が掲げられていた。そこに「薬袋」という姓を10ほど発見。川東地区公民館に取り付けられていた地区住居案内図(下の写真)でも「薬袋」姓を見た。
 「薬袋」は「ミナイ」と読む難しい姓。私が「薬袋」姓の方と出会ったのは10年ほど前、東京・中野で広報講座をもったとき。その講座の進行を務めた女性が「ミナイ」さんだった。この姓との出会いも今日の収穫。

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 塚の向こうには春爛漫の田園風景が広がり、はるかに望むのは八ヶ岳連峰から甲武信ケ岳への山並み。
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posted by echo-take at 15:19| 山梨県 中央市の道祖神