2015年01月23日

地名「久那土」と子育て双体道祖神

道祖神の里めぐり 山梨県身延町(旧下部町) 2014年8月28日

 地名「久那土」と子育て双体道祖神

 道祖神の別称に「久那斗神(くなどのかみ)」「岐神(ふなとのかみ)」がある。「久那斗神・岐神」とは、伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉(よみ)の国から逃れて禊(みそぎ)をした時,投げ捨てた杖から生じたという神。集落の入り口や道路の分岐点などにまつられ、種々の邪霊・禍災の侵入を防ぐ神で、道祖神、岐・衢(ちまたのかみ)と同じ。この「久那斗」と同じ読み方をする地名「久那土」が身延町(旧下部町)に存在する。JR身延線の駅名にもなっている。

この日の順路:車使用
 「なかとみ和紙の里」前に 道祖神@ ⇒富士川を渡る(峡南橋) → 「つむぎの湯」→ 久那土駅→ 身延線の鉄橋をくぐり左折→ 道祖神A  ⇒県道9号に戻る→ 久那土中学校前の河原駐車場 → 道路を横断 大草ふれあいプラザ前に 道祖神B ⇒久那土小学校前右折→ 久那土郵便局前を通過→ 県道404号 川側に 道祖神C ⇒橋を渡って民家前に 道祖神D ⇒県道404号に戻る→ 龍泉寺参道入り口に 道祖神E  ⇒道路山側に馬頭観音・石仏群→ 切房木 岩船地蔵尊前を通過→ 道地区の始まり→ 道路山側に馬頭観音→ 道路山側に 道祖神F ⇒慈観寺前を通過→ 自動車工場横の小道に入る→ 道祖神G ⇒県道404号に戻り蛇行した坂を登る→ 坂の途中・道路谷側の下に 道祖神Hがある石仏置き場 ⇒大磯小磯方面or古関方面(照坂トンネル方面)の分かれ道→ 三叉路を大磯小磯方面に進みすぐ 道路下に 道祖神I ⇒大磯小磯方面に進み 分かれ道を上小磯方面へ→ 山道を登り集落入口に 道祖神J ⇒元の道に戻り大磯小磯方面へ→ 道路山側に八王子諏訪神社・斜面に道祖神K  ⇒大磯小磯公民館の北側へ伸びる山道 小橋を渡る 道祖神L(破損) ⇒大磯小磯公民館前の三叉路に 道祖神M(石祠2基) ⇒来た道を戻り芝草の三叉路を古関方面へ →照坂トンネル→ 寺(方外院)前を通過→ 山側 農道の入り口に 道祖神N ⇒本栖みちに合流→ 古関集落公民館の横に 道祖神O

道祖神寸見

@「なかとみ和紙の里」前

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A 身延町三澤
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 双体道祖神一つの石に二神を浮き彫りにしたものが多い。しかしこの双体は丸彫り。地蔵でなく道祖神として認められるのは握手をしているから。道祖大神の文字碑も並立している。
傍らに地元三澤第二組が立てた解説板によれば「この双体道祖神は室町時代のものともいわれている」とある。「明治40年の水害で頭部が流失し丸石が乗せられた」とも。
集落に今も伝わる道祖神祭りは毎年1月14日に行われ「25才と42歳の厄年の男性と新婚者がお神酒を上げる。かつては夜明かしで踊った」らしい。そして結びは「男女双神は夫婦和合、子孫繁栄。道を教える神が人の道を教えるとして民間信仰として定着した思われる」。流失した頭部は優しい眼差しで人々の祈りにこたえていたのだろう。 
 

B 大草ふれあいプラザ前
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 丸石の道祖神(寛政2年)。傍の石灯篭に「石尊大権現」の文字が。この地でも石尊(大山)信仰はあったことを知る。この灯篭には金比羅大権現、秋葉大権現の文字も刻まれていた。子育て地蔵、庚申塔、二十三夜塔も祀られている。


C 下部第二分団詰所の横
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 駒形の双体で男神は笏、女神は宝珠。文字碑は明治23年造立。


E 龍泉寺の参道入り口 
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 赤っぽい色の男女双体像で明和元年の造立。由布と大きな手が特徴。道祖神場もある。地域がしっかり護持している様子が分かる。


G 身延町道 
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慈観寺の近く。「子育て道祖神」で女神が子どもを抱えている。男神は笏。石祠は大正4年。


H 身延町水船
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 集落から離れた夏草の繁る中に立つ男女双体神。だが世俗から離れているためだろうか表情は穏やか。惹かれる像。


I 身延町芝草
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 かなり埃に覆われていた。女神は体の前で子どもを抱えている。Gの子どもと比べこちらの子は女神のあごくらいの背の高さ。大きな子である。男神は笏を手にしている。


J 身延町大磯小磯
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 八王子諏訪神社の法面に男女双体が二体。一体は由布、他の一体は太い紐のような由布を手にしている。庚申塔や地蔵も並列。


L 大磯小磯公民館北側 
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 長さ3bほどの橋を渡ると道は山中へ。雑木林を透かしてみると人家が一つ望めた。この橋のたもとに4坪ほどのモルタル塗りの小屋があった。取水小屋らしいが全く使われていないようだ。その脇に上部が欠けた双体道祖神が祀られていた。菊紋の石祠道祖神も。陶製の恵比寿、大黒、布袋像が納められている。注連縄が張り巡らされているので道祖神祭りは行われたのだろう。
 この日回った集落で家財の整理をしている(運び出している)光景に二度出遭った。過疎化は進んでいることを知った。だがどの集落でも、今年も道祖神祭りか行われたことを示す竹と注連縄が見られた。そこに道祖神信仰の原風景を見たような気がする。


N 身延町古関
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 男神は笏、女神は扇。顔の形などに男女の違いが表れている。敗戦後の混乱期の昭和25年1月14日に松葉組と馬場組による造立。村人は何をこの双神に祈ったのだろうか。 


O 身延町古関公民館横
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 男神は笏、女神は合掌の像。家紋が付いているが判別は難しい。丸石道祖神も。
 柵の外に長い歳月を経た双体道祖神が立つ。この塔は柵内の塔の祖先かもしれない。小さな賽銭箱が設けられている。道祖神場があり、そこにヤナギが置かれていた。ここで下部の道祖神めぐりは終りなので秦野の地酒をすべて飲んでもらった。


下部温泉郷の奥 
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posted by echo-take at 12:24| 山梨県 身延町の道祖神