2014年10月13日

道祖神祭りは夏

 道祖神の里めぐり         2014年8月26日

山梨県甲府市古関町→ 甲府市右左口町→ 甲府市上向山町 

 道祖神祭りは夏

1 文字碑・双体・石祠・丸石道祖神 (甲府市古関町)
 国道358号線の道路脇に立つ文字碑道祖神は、堂々とした新しい台座に乗っている。なぜかその足下にネギが一ウネ。隣に立つ電柱には甲府市役所上九一色出張所の案内板が。そう、ここは旧上九一色村。

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 この碑の横の坂道を20bほど登ったら双体、石祠、丸石の三塔の道祖神に出会えた。双体は僧形合掌像。ふくよかな造りでやさしい表情がうかがえた。大乗妙典一字一石供養塔、不動明王、庚申塔、地蔵菩薩と共に祀られている。
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 それらの神仏のすべてに「福まんじゅう」が供えられている。通りかかった青年に話を聞くと、24日に道祖神祭りが行われ、祭りに参加した人にこの福まんじゅうが配られたとか。秦野と違い山梨や長野では6月から8月にかけて道祖神祭りを行うところもある。豊作祈願や暑気払いの祭りらしい。 


2 丸石道祖神 (甲府市右左口町・旧中道町)

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 難読地名でも知られている「右左口」。「うばぐち」と読むのは難しい。山梨県甲府市と静岡県吉原宿を結んだのが中道(なかみち)往還。訪ねた集落は右左口宿と呼ばれ、古い宿場の風情を残す間口4間の家が今も点在する。歌人山崎方代の故郷である。

 @下宿の道祖神 自然石の丸石一個の道祖神。左下の甲子塔に「左 市川」の文字があるが、道祖神と灯籠との間にある四角い石が元の道標で「右 甲府 左 市川」と刻まれている。 
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 A中宿の道祖神7個の丸石(自然石)円形に積み重ねられている。
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 B上宿の道祖神 円楽寺の山門の左。自然石の丸石10数個が積まれている。
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 3 右左口は山崎方代の故郷 
 大正3年、右左口村(現右左口町 右の写真)で8人兄弟の末っ子として生まれた。「方代」という名前は五人の子どもを亡くした両親が「生き放題、死に放題」にちなんで名付けたといわれている。
太平洋戦争で右眼を失明、左眼の視力もわずかに。街頭で靴の修理などをしながら各地を旅したことから、「漂泊の歌人」と呼ばれるようになる。亡くなって20年以上経ってから高校の国語の教科書や映画で取り上げられるなどして注目を集め、今も多くのファン(私もその一人)を持っている。菩提寺は円楽寺(右左口町)。寺の隣が生誕の地。

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          生誕の地に立つ「方代」自筆の歌碑

   ふるさとの右左口郷は骨壺の底にゆられてわがかえる村   方代


4 丸石道祖神 (甲府市上向山町)
 常光寺への道の入り口は中道公民館向山分館の横。その公民館の横にまだ新しい丸石(加工)道祖神があった。傍らに青面金剛像、秋葉大権現の石祠と灯篭。陽石も置かれいた。  
道祖神の注連縄が比較的新しいし、カップ酒が供えられている。それで「道祖神祭りが行われたのか」と道祖神の真横の家の人(若いお母さんだった)に聞いた。すると「夏祭りは行っていない。お酒は近所の人が供えているらしい。絶えることはない」と笑顔。
 ドンド焼きはそこの道祖神場で行われ、お坊さんがお経を上げ、主役は大人で、子供たちにお菓子が配られるとのこと。
 注連縄が新しくなっていることは、かつては夏に道祖神祭りが行われたことを表しているのではないか。「いつも誰かがお神酒を供えている」と聞き、この地に住む人たちの暮らしの中に道祖神信仰は息づいていると思った。
 
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posted by echo-take at 13:39| 山梨県 甲府市の道祖神

2014年10月02日

秦野の道祖神 その1

道祖神の里めぐり NO12 秦野市 その1

 
 西相模系道祖神(僧形合掌双体道祖神)の発祥の地 秦野

 道祖神の造立数の多い県は、東日本では群馬、長野、神奈川、新潟、静岡、山梨。それに西日本では鳥取。
市町村別に見てみると、長野・安曇野市583基、静岡・富士宮市396 、神奈川・秦野市316。ちなみに道祖神の宝庫といわれる群馬・高崎市倉渕町(旧倉渕村)は114基。

東地区

1 文字碑 衢陸神(ドウロクジン) 文政2(1819)年  ・東田原162
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「衢」の文字は略字。他に同じ略字体のもの
「衢祖神(兜巾型)」文化7(1810)年  ・西田原1220
「衢祖神(兜巾型)」嘉永3(1850)年  ・落合30 
 衢祖神(チマタガミ) 道の分岐点を守り邪霊の侵入を阻止する神。また、旅人の安全を守護する神。道祖神。さえのかみ。「天孫降臨」のとき天の八衢(やちまた)に出迎えて先導したというところから猿田彦神の異称でもある。

2 文字碑 道祖神が道標を兼ねている。「いせ原道」「大山道」と記されている。身の丈111cm 文化3(1806)年  ・東田原1533
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3 文字碑 猿田彦大神 文政10(1827)年  ・西田原902
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4 文字碑 弘化4(1847)年 身の丈126cm  ・西田原897
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 ※男女双体道祖神 白山神社への山道  ・西田原谷戸
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5 双体道祖神 寛文から元禄期のものと言われている僧形双体像・陣痛が始まると「セエの神さんをねかせてこい」と言われる道祖神。安産の神。 ・小蓑毛233
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6 男女双体道祖神 男女双体では市内最古といわれている。元文6(1741)年   ・蓑毛141
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 左から 庚申塔 男女双体道祖神 浅間大神塔五角柱地神塔 地神塔 近くに市内最古の大山道の道標(不動明王像を戴く)もある。

7 文字碑 久奈斗大神  明治16(1883)年       ・寺山495
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8 文字碑 道祖神の「祖」の文字が異体字。
 旁の「且」が『一口一』と刻む。「昭和三十七年十月再建 寶作庭」 昭和37(1962)年   ・寺山419
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9 文字碑 市内で最も新しい道祖神。
 今まで道祖神として祀っていたのは馬頭観音だったので。 平成22(2010)年4月造立       ・名古木
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10 男女双体道祖神 長野や群馬などで見られる酒器像(祝言像ともいう)。 ・名古木1154
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11 男女双体道祖神 肩組み握手像で安曇野系。
 開発で新しい町が生まれた記念に昭和58(1983)年正月造立。「落合原子供連」の銘。         ・落合184
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北地区

12 双体道祖神 僧形合掌型 神神奈川県最古。秦野市文化財に指定。寛文9(166)年        ・戸川701
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13 双体道祖神 僧形合掌型 元禄8(1695)年  ・三屋55
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14 双体道祖神 僧形拱手型 貞享元(1684)年  ・菩提1760
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南地区

15 マラセの神 嘉永4(1851)年には存在していたらしい。これは二代目。  ・今泉460
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 中町の道祖神祭り(だんご焼き)の小屋

16 (向かって左から) 
 男女双体道祖神 銘なし 
 双体道祖神 僧形合掌型  嘉永元(1848)年
 文字碑          大正11(1922)年 
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小屋には「平成四年鶴巻道祖神講再建」の棟札 ・尾尻167
 

西地区

17 男女双体道祖神 秦野では珍しい倉渕系の男女双体像、御高祖頭巾の酒器像(祝言像)  ・千村屈掛
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18 双体道祖神 僧形合掌型
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 杉の葉の小屋掛け・屋上の注連縄は山梨地方の道祖神祭りのオコヤ・オカリヤと同じ趣旨か。寛保3(1743)年。・菖蒲1732(小原地蔵堂境内)


大根地区

19 男女双体道祖神(左) 
 子育て道祖神。長野で見られる「子育て道祖神」は女神が子どもを抱えているが、ここでは男神が肩の位置で抱えている。 大正4(1915)年 ・南矢名1777
20 男女双体道祖神 
 頭部に冠、拱手(ふところ手)像。元文5(1740)年 ・南矢名1777
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posted by echo-take at 08:52| 神奈川県 秦野市の道祖神

2014年08月14日

猿田彦面を飾る道祖神石祠

道祖神の里めぐり  2014年4月4日 山梨県中央市 
      
 猿田彦の面を飾る道祖神 (関原地区・旧豊富村)

 
 山梨県中央市に「猿田彦」の面を彫った珍しい石祠道祖神があることを知り、今回の「道祖神の里めぐり」はこの地にした。
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 集落のはずれにある小さな塚、そこに立つソメイヨシノは見ごろだった。その樹下に尋ねた石祠道祖神は在った。台座正面に「猿田彦命」、右に「文化十三丙子霜月吉展」(1816年)と記されている。祠は波風作りで飾りに猿田彦の面が左右両面に彫られている。
 猿田彦は天狗の原形ともとらえられる神。伊勢一の宮猿田彦大本宮・椿大神社の絵馬に描かれている猿田彦は、眼光鋭く鼻はまさに天狗である。
 ところがこの祠に飾られている猿田彦の面立ちはふっくらとして穏やか。祠の中には丸石、あるいは陽石と思われるものが鎮座している。

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       猿田彦の面が左右に 
 
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   台座に猿田彦命の銘 祠の中に丸石

 石祠の右に自然石の文字碑道祖神が立つ。この石碑の上に年代がまったく異なると思える灯篭の火袋が載せられていた。
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  水上、川東、浅利の4塔の双体道祖神にも献杯  
 山梨の道祖神は甲府盆地を中心に丸石が圧倒的に多い。中沢厚著「山梨県の道祖神」によれば、「甲府市域を中心にした平坦地には双体道祖神は二体」しかなく、「その二体が中央市浅利地区にある」とのこと。それで豊富郷土資料館を訪ねた。末木館長さんから資料をいただく。その資料で豊富地区に7塔の双体道祖神があることがわかった。その中の数塔の在り処への道を教えてもらう。
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  中央市関原の道祖神 遥かに八ヶ岳連峰が 
     水上地区は船型握手像で寛政3(1791)年の造立
 
 「シルクの里」の道祖神らしく 
 川東地区のものは破風作りで肩組み握手像だが、双神の肩にから足元にかけて幅の広い布のような物がかかっている。明和6(1769)年の造立。丸石も祀られている。この道祖神の傍に「蠶(蚕)影山(こかげさん)」の立派な石碑。この地区は今「シルクの里」をキャッチフレーズにしてまちおこしをしている。今も養蚕農家が存在しているとのこと。
 山梨県甲府盆地の東部地方では、集落の辻に道祖神と共に「蚕影山」と文字を刻んだ石碑が祀られている事が多い。この「蚕影山」は、山梨で養蚕が盛んに行なわれるようになった江戸時代中期から、養蚕の神様として信仰を集めてきた。本社は茨城県つくば市神部の蠶影神社。旧豊富村には分社された蠶影山神社があり、現在でも厚く信仰されている。双体道祖神が布を掛けている訳がわかっるような気がした。
いずれの道祖神場も竹に注連縄、御幣の竹筒、灯明などが神前に残されていて1月の道祖神祭りの余韻を感じた。

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川東地区は破風型肩組み握手像 肩から足元へ豊かな布が

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       傍に「蠶(蚕)影山」碑 
 
 合掌双体像1塔と3基の石祠道祖神 ―― 諏訪神社境内 
 浅利地区の諏訪神社境内には露座の合掌双体像(銘はなく傷みが激しい)が1塔、3基の石祠道祖神が祀られていた。その中の一基・横町組の石祠は明和3(1766)年で双体道祖神が収まっていた。中沢さんの言う「双体2神」はこの2体。道祖神のそれぞれに護持している集落名(北村組、上手組、横町組、西村組)の立て札が立っていた。
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         諏訪神社境内に集められた道祖神 

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         露座の双体像(北村組) 

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     祠内に双体像を持つ(横町組) 
 
 廻國巡礼供養塔に初お目見え 
境内には三猿・日月・六臂の青面金剛像の庚申塔、地蔵菩薩、水神祠、秋葉神社祠、馬頭観音、蠶(蚕)影山などの石造物も祀られている。その石造物群の中に円筒状の碑があった。中ほどで折れているが刻まれている文字は読めた。
 中央に「大乗妙典日本廻國供養塔」。右に「天下泰平」、左に「日月清明」と記されている。これは「六十六部」と呼ばれる供養塔である。56億7千万年後、弥勒菩薩は釈迦如来に代わって仏となり、私たちを救済してくれる。その時まで経典(法華経)を全国に分散保管して菩薩の出現を待つ。そのために自ら書写した法華経を全国66カ国の社寺に納めて廻る行者は「六十六部」と呼ばれていた。
 その「廻國巡礼」が完了・結縁したとき建てられるのが廻國巡礼供養塔である。秦野ではこの供養塔にはまだお目にかかっていない。他所でも今までに対面する機会はなかった。その塔にこの地で出会えた。
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 「薬袋」姓に出会う
 この諏訪神社は平成16年に再建されたようで、再健に尽力した氏子の氏名板が掲げられていた。そこに「薬袋」という姓を10ほど発見。川東地区公民館に取り付けられていた地区住居案内図(下の写真)でも「薬袋」姓を見た。
 「薬袋」は「ミナイ」と読む難しい姓。私が「薬袋」姓の方と出会ったのは10年ほど前、東京・中野で広報講座をもったとき。その講座の進行を務めた女性が「ミナイ」さんだった。この姓との出会いも今日の収穫。

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 塚の向こうには春爛漫の田園風景が広がり、はるかに望むのは八ヶ岳連峰から甲武信ケ岳への山並み。
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posted by echo-take at 15:19| 山梨県 中央市の道祖神

2014年08月07日

山梨特有の石祠道祖神

道祖神の里めぐり  2013年12月8日・9日
山梨県 北杜市小淵沢・須玉・高根地区 

 山梨特有の石祠道祖神    

 道祖神の分布図(道祖神信仰)を見ると、長野、群馬、静岡、山梨、神奈川など本州中央の山岳地帯周辺に集中している。これらの県の中で、山梨の道祖神は原始的信仰を思わせる丸石、石棒・陽石を道祖神としているところに特徴がある。そして石祠道祖神も山梨特有の道祖神である。今回の「道祖神めぐり」は山梨県の北部、長野に隣接する北杜市を選んだ。北杜市には、私の好きな長野の道祖神の影響を受けたと思われる男女双体道祖神が比較的多く見られるからである。

小淵沢地区 
1 諏訪神社境内 (北杜市小淵沢町岩窪)
 石祠道祖神 二基いずれも祠内に男女双体像が祀られている。一つは二神で甕を抱えている。もう一方は握手像。
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2 大宮神社境内 (北杜市小淵沢町本町)
 石祠道祖神  神社裏にある二基は入母屋風。側面は唐様破風造りで彫刻がすばらしい。祠内には双体らしき像が見えた。この日は地域の清掃作業の日だったので境内を掃いている地元の年配の方と言葉を交わしたが、道祖神についての反応ははかばかしくなかった。
 下津金の石祠(この稿の6参照)と並び賞せられている。側面には三方、瓶子、御幣の彫り物もほとんど同形。彫刻のできなど含め優劣付けがたい。
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3 皇大神宮境内 (北杜市小淵沢町宮久保)  
 石祠道祖神  台石正面に珍しい「魚の口づけ」の彫り物がある。私にとっては初見である。石祠の中に祀られているのは瓶子と盃の丸彫りの祝言像。
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4 八幡神社境内 (北杜市小淵沢町高野)  
 文字碑道祖神 「会いたい!」と願っている道祖神の一つ。神社右裏手に縦80a 横67a の道祖神の文字碑はあった。篆書体で刻まれているが「道祖神」の文字は男女の性器を表している。「神」の文字の下に穴があるので覗いてみると下部は空洞になっている。研究者によればこの空洞は女性の体内を意味しているとのこと。碑の後ろに双体道祖神と単体道祖神も立つ。
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5 北野天神社境内 (北杜市小淵沢町久保) 
 双体道祖神  神社裏手に露座の双体道祖神や石祠など十数基が祀られている。たぶん町内から集められたのだろう。その中の6塔の双体道祖神はその形がそれぞれ異なっていて、双体道祖神像の造立の時間的変遷・進展を見ることができる。
 特に興味深いのは、@裾をはしょったような男女双体像。初見である。脚を見せているのはなぜなのか。男神はカラオケのマイクのようなものを手にしている。Aの像は摩滅が激しいので読解は難しかったが元禄三年(1690年)と読めるようだ。少し幼稚だがその作風は年代的に当てはまる像である。駒形の衣冠束帯の神官像が2塔。その1塔Bはレリーフのようで鮮明に見ることができる。秦野では見られない双体像。D羽織を着た商家の夫婦のような双体道祖神。信仰の身近さを感じた。E瓶子を手にする像と笏(しゃく)を持つ祝言像だが、長野や群馬の道祖神のような姿態の像はここでは見られなかった。
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     @裾をはしょったような姿 
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     Aほほえましい双体像
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      B神 官 像
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        C神 官 像 
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    D男神は笏 女神は合掌
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      E祝言(酒器)像

 石祠道祖神  両の扉に、三方に御幣を三本挿した瓶子を乗せた彫り物の石祠があった。石祠の正面上部に日本の大根が交叉している「違い大根」が彫られている。「違い大根」は男女交合のシンボル。その歓喜の姿を表しているのが歓喜自在天。日本では聖天さん信仰がこれにあたる。祈れば病気は退散し、夫婦は和合し、子宝に恵まれる、という。道祖神が子宝の神であることを示している。祠の中の男女双体像は線刻のように見える。歓喜像ではない。
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須玉地区
6 石祠道祖神 (北杜市須玉町下津金の路傍)
 石祠道祖神 「これほど立派な石祠道祖神は他にはない」(山梨の道祖神全体を調査された中沢厚さんの言葉)。高さ1,5b 台石から測れば2bを越える。正面は二重の破風の流れ造りで双鶴が舞う。懸魚、妻飾りなどすべて見事な彫り物。祠内には丸石と石棒。祠の前に丸石道祖神も祀られている。正面に『道祖神』が掲額。近所の年配の方に話しかけたが、この石祠が道祖神の研究者や好事家にとって「価値のあるもの」であることに興味を示されなかった。「正月に注連縄を張り神主さんが祝詞をあげる」「ドンド焼き行わなくなった」とのこと。
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    手前には丸石道祖神も 
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    双鶴、懸魚、妻飾りなど見事な彫り 
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   祠の中には丸石や石棒が
 
海岸寺(北杜市須玉町上津金)
 西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音の合計100体の石造観音を見ることができる。100体観音は信州高遠の石工・守屋貞治の作。高遠の石工が道祖神を彫ることになったことに守屋は影響を与えていると説く人もいる。大宮神社の石祠道祖神は守屋の作と言われている。
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高根地区
7 丸石・文字碑道祖神 (北杜市高根町箕輪・海道集会所横)
 丸石道祖神の台石に「衜祖神」と刻まれている。嘉永2(1849)年造立。「衜」は音読みで「ドウ」「トウ」で訓読みは「みち」。農蚕大神の碑が背後に立つ。
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 北杜市でも行く先々で「動かなければ出会えない」と、出会った人や道祖神の近所の家を訪ねて回った。海道では道祖神の道向かいにお住まいの小林敬民さんに道祖神祭りの話を聞くことができた。以下は小林さんのお話。
◇(高根町海道の道祖神祭りについて
 この海道地区は40軒ほどの集落。1月14日の午後6時、セーネン(青年)4人がオオカリヤ(御仮屋)を担ぎ結婚・新築・出産・入学など祝い事あった家と厄年の人のいる家庭を回る。オオカリヤが訪ねてきた家では酒を振舞い祝儀を出す。接待を受けたセーネンたちは、庭でオオカリヤをひねりながら三回廻し最後に「オイワイモース」と高く差し上げる。午後8時に御田でオオカリヤを焼く。これを「ドンドン焼き」と言っている。今はセーネンがいないので消防団が担いで地区を回っている。
 藁で作るオオカリヤは円錐形、高さは2bを超える。オオカリヤは以前はセーネンが作ったのだが今は自治会で作る。オオカリヤに付けられる角(ツノ)も藁製だが、伝統的なものなので長老が作っている。一年に二組作るので来年のものは今年のものは作ってある。
 昔はセーネンが13日に当家(その年の当番の家)に集まり夜明かし。酒を飲み、花札で遊んだりした。新人が若い衆の仲間入りをするための行事でもある。当家で朝6時に食事。この食事に地区内の小学生は全部招かれ、若い衆と一緒に食べる。食事か終わると若い衆は藁でオオカリヤを作る。
◇「道祖神の火事見舞い」という行事について
 オオカリヤを燃やすドンドン焼きは「道祖神さんの家が火事になる」ということ。道祖神さんが自分の家を燃やし、海道地区にはこの一年火事が出ないようにしてくれる。だから、そのお礼に2月8日(この日は「事終い」の日)に、海道の家々は藁馬に餅や米を背負わせ道祖神さんに持っていく、これが「道祖神の火事見舞い」という行事。でも今はやっていない。30 年くらい前からやらなくなった。
 地区の「お日待ち(今は月に一度の自治会の集会日)」は毎月18日だが、2月だけは「道祖神の火事見舞い」にあわせ8日に行う。地区の人が集まってお神酒を飲むだけになってしまったが。海道のオオカリヤは山梨県立博物館に展示されているはず。私が責任者で作ったオオカリヤ。ぜひ見てください。
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(偶然だが、私は今年1月山梨県立博物館で小林さんたちが作った海道地区のオオカリヤを見ている。「動かなければ出会えない」である。)

posted by echo-take at 14:45| 山梨県 北杜市の道祖神

2014年06月21日

道祖神を詠う  倉渕・安曇野・辰野


2013年12月4・5日
道祖神の里めぐり   道祖神を詠う 

       
倉 渕 
 小春日やよう来なさつたと夫婦神               
 山陰に笑む道祖神冬温し
 里小春肩組握手道祖神
 冬日向寛永二年の双体仏
 道祖神の嫁入り話暖炉燃ゆ
 石神の微笑み二つ初写真
 肩組みも握手・抱擁・献酬も「生の全う」願う姿ぞ

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  熊久保の僧形双体像 寛永2(1625)年

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    道祖神の源流の一つは自然石(左)    右は陰陽石

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御幣と日の丸が添えられている・享保12(1727)年

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   寛政6(1794)年

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  上の4塔は倉渕中学校近くの稲荷神社境内に

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 「長井百庚申」と共に祀られている坐り雛型道祖神は倉渕特有のもの


安曇野・穂高 
 今朝の冬まとひ常念岳屹立す
 冬霧に沈む朝(あした)の道祖神
 雪嶺を負ふて彩色道祖神       
 冬耕の婦(つま)路傍神に見守られ
 冬日向頬を緩めて夫婦神
 この顔は誰彼に似てると笑い合い歩幅大きく安曇野を歩く

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   本郷の握手像 安政5(1858)年

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  本郷の握手像 天保4(1833)年

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 矢原の酒器像 明治25(1892)年


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 柏原長野の酒器像 安政6(1859)年 
 
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  三枚橋の握手像・文政14(1831)年と文字碑 

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  神田町の酒器像 慶応2(1866)年 

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 身の丈5cmに満たないほどの双体握手像


辰野・沢底 
 冬晴れや裾まくりとふ道祖神
 木枯らしや一村望む夫婦神
 風筋の木の葉あつめて路傍神
 裾まくり道祖神落ち葉のコンチェルト      
 冬到来風のごつんと石神に
 天明の飢饉の中で祀られし双体像はひときは小さし
 
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   天明3(1783)年造立


 この「道祖神の里めぐり」は、まほら秦野みちしるべの会の研修旅行でもあった。 
  
  語りあふ人居る幸ぞ温め酒  


 
posted by echo-take at 16:06| 群馬県 高崎市 倉渕町の道祖神