2014年05月29日

「日本最古の道祖神」に会いに

2013年1月8日・9日
     
「日本最古」といわれる道祖神に会いに

1月8日
 6時半に出発。最初に安曇野の穂高神社御船会館で開かれている「道祖神特別展」へ。 展示のために道祖神本体を動かすことはできないので、写真と拓本での展示。拓本の道祖神像に新たな魅力を感じた。「最も古い形の道祖神(実物)」が展示されていた。男性のシンボルを思わせる形。

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    穂高神社・御船会館の「道祖神特別展」で


 続いて安曇野市豊科郷土博物館を訪ね、館長さんに道祖神御柱の立っている場所を教えてもらう。館の庭に文字碑があった。
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道祖神祭りの御柱 安曇野市・豊科地区

 地元の中年の女性に御柱の在り処を尋ねたら数カ所を挙げてくれた。小学生に聞いたら「知らない」。道祖神祭りとドンド焼きはこの地方では別の行事なのだ。を知った。新田地区と三郷地区の御柱を見る。なので照を背に屹立する御柱は私をしばしその場に佇ませた。高村光太郎の詩『冬が来た』の一節「きっぱりと冬が来た」が浮かんできた。

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1月9日

  万治の石仏 
 辰野にら向かう途中諏訪大社下社・春宮の近くにある万治の石仏を訪ねた。万治3(1660)年の造立で身の丈は2bほどの阿弥陀如来様。

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「裾まくり道祖神」
 
 今回の道祖神めぐりのメインは、長野・辰野町澤底地区の道祖神さんにお会いすること。訪れた澤底地区は、地名が持つイメージとは違い、谷間になだらかな耕地が広がっている。目指す道祖神さんはカーナビでは読み取れなかった。澤底地区は広く、一山超えてようやくたどり着いた。入村という集落を通り抜けると、里山の登り口に目指す「日本最古」の道祖神さんは私を待っていてくれた。
「この先には民家はない。だが、かつては諏訪につながる大切な道だった」と地元の人は言った。
 甲子塔、寒念仏碑、庚申塔、馬頭観音碑などの野仏・石神を左右に従え中央に立つのが「日本最古」と言われている男女双体道祖神。東京・麹町の『一元最中』が供えてあった。山梨の『月の雫』も。それで私は『カンロ飴』を。

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日本最古といわれる双体道祖神には「永正2(1505)年の銘が


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   甲子塔、寒念仏碑、庚申塔、馬頭観音碑に囲まれて

 地元では親しみを込めて「裾まくり道祖神」とも呼ばれているこの男女双体道祖神さん。間近に見たとき、「群馬・高崎市の倉渕地区で散見した男女双体道祖神と性格が同じ」と思った。
 町教育委員会から頂いた資料「辰野町資料第92号(平成16年発行)の中で、地元の研究家が「道祖神の形体がその年代にしては少し新しすぎるのではないか」と言っている。その真偽は別として、この双体道祖神を眺めていると、たくましく生きた往時の村人の姿が二重写しになって現れてくる。
 諏訪地方の寒気はことのほか厳しいそうで、年末に降った雪が残っていた。


 澤底地区は道祖神の里

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 長野・山梨から神奈川へと繋がる道祖神祭り 

 午後、山梨県立博物館の『やまなしの道祖神祭り展』を観る。学芸員さんによれば「道祖神祭りは冬の山梨の最大の祭り」とのこと。明治の初めの頃まで繰り広げられた甲府市内の道祖神祭りの盛大さを常設のジオラマでうかがうことができた。
 甲府市内の道祖神祭りは消えたが、山梨各地では道祖神信仰は引き継がれ、さまざまな道祖神祭りが今も行われている。この祭りのために作られる小屋(オコヤ・オカリヤと呼ばれる)が展示されていた。会場入り口に据えられた山梨市牧平のオカリヤ(夫婦円満のための作り物)には圧倒された。
 どの地の道祖神祭りも火を燃やす。そのわけを山梨・北杜市辺りでは「道祖神さんが自分の家を焼いて村に火事が出ないようにしてくれる。その火がドンド焼き」。それで、村人は2月8日に「道祖神の火事見舞い」として餅を背負わせた藁馬を作り道祖神に供える。
 道祖神祭りの「神木」は安曇野では「御柱」。ここ山梨では「ヤナギ」「オヤマ」などと呼ばれている。だがいずれも幣帛や切り紙などで美しく飾り、立てる。
 長野や山梨で見られる道祖神の神木飾りは、神奈川の山北町、松田町では花車という形になっている。そして神木は秦野と松田を分ける四十八瀬川を超えると「御幣・オンベ」になる。

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    笛吹市内の丸石道祖神二体(石和八幡宮境内、笛吹権三郎像広場)丸石の道祖神は山梨県内に多く見られる道祖神

 
 塩尻の宿で『道祖神のさと』というモナカに出会った。モナカの皮は男女双体道祖神の形。これも今度の「道祖神巡り」の収穫の一つ。
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     「道祖神のさと」最中

 この「道祖神の里めぐり」の締めくくりに、立ち寄り湯『ほったらかし温泉』の露天風呂から夕暮れの富士を眺めた。富士山の向こうは富士宮。富士宮にも道祖神はいっぱいある。

posted by echo-take at 12:43| 長野県 辰野町の道祖神

2014年05月17日

「優雅さは天下一品」の双体道祖神 

道祖神の里めぐり  群馬県高崎市倉渕町  2013年8月29日

「優雅さは天下一品」の双体道祖神  下諏訪神社境内


 倉渕の再訪は、2012年に訪れたとき時間の関係で寄ることができなかった「その優雅さは天下一品」と言われる男女双体道祖神さん(下諏訪神社の境内)にお会いするため。倉渕の道祖神マップはていねいに作られているので、それほど苦労をしないで対面させてもらえた。

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 碑の高さ75a、男神は48a・女神42a。天明8(1788)年の造立だが、像の剥離はあまり見えない。二神共に伏し目の穏やかな表情。女神は御高祖頭巾を着けている。持っていった秦野の地酒を献じた。

 この名品の傍らに、かなり崩れている男女双体像が祀られている。握手像だが、男神の手を女神がつかんでいるとも見える。
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イノシシの侵入を防ぐ金網の外(集落の外)に神社が取り残されてしまったのは寂しい。


 群馬県最古・寛文2(1625)年の熊久保の僧形道祖神も再訪
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 双体の近くに立つ地蔵の顔は子どもの容姿のように見えた。道祖神の源流は地蔵菩薩とも言われている。地蔵さんは子どもと仲良し。賽の河原で子どもを助けてくれる。だから道祖神祭りは子どもA関わる祭りである。
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 この道祖神場の隣りの民家は門口に道祖神を模したような双体坐像を据えている。この家の姉妹が国民体育大会に出場した記念の道祖神?とのこと。道祖神への願いとは少し異なるが、今も道祖神を思う人々がこのように存在することは嬉しいことだ。
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 最後に訪れたのは「長井の百庚申」と共に立つ6塔の道祖神。ここ倉渕にしか見られない坐像の元禄雛形道祖神は元禄5(1692)年の造立(左端)。右から三番目は下半身を省略したような短身像。右端の双体道祖神は御高祖頭巾道祖神として知られている。

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 倉渕村は平成18(2006)年1月24日に高崎市と合併した。その際、倉渕村を形として残すためにこの道祖神公園が設けられた。公園の敷地は倉渕村の形、中央に烏川をイメージするせせらぎが流れ、そして倉渕村の象徴でもある祝言像の大きな道祖神が祀られている。台座には「倉渕邑中」と明記されている。道祖神の村・倉渕村の永遠のモニュメントでもある。

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posted by echo-take at 14:25| 群馬県 高崎市 倉渕町の道祖神

2014年05月04日

越後もまた道祖神の宝庫

武勝美の道祖神めぐり 新潟・湯沢町、柏崎市 2013年8月26日・26日

越後もまた道祖神の宝庫 

8月26日 この旅は南魚沼市浦佐に眠る友人・大竹さんの墓参。また、妻の学友のSさんを同市五日町に訪ねる(54年ぶりの再会とか)。夜は小出まつり花火大会を楽しむ。 
 そこから少し脚を伸ばして新潟・柏崎市の道祖神めぐり。資料によれば柏崎市の道祖神碑は県下では栃尾市に続いて第2位の造立数で、88塔が確認(平成5年調査)されている。
 寺山を5時出発。新潟・湯沢町歴史民俗資料館見学。館の近くの道祖神1塔を紹介されたので尋ね歩き運よく発見。
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 萩森大神 風神 馬頭観音 不動明王 名号塔などと共に祀られている。

8月27日 この日は午前10時から柏崎市立博物館の渡邉学芸員さんにお会いし、市内の道祖神についてお話を聞くことになっていた。それで事前にいくつかの道祖神を見ておくのが礼儀と思い、朝食抜きでホテルを6時30分に出る。(朝食はある程度目的を達成しところで、ということ。)
 最初に訪ねたのは谷根(たんね)地区。谷根は柏崎市の西部で名峰米山(「米山さんから雲が出た」の名調子で有名な「三階節」や「米山甚句」に歌われ、広くその名が知られる山)の東の麓に位置する。
 
 柏崎市谷根地区 草鞋が奉納される道祖神
 福祉施設「たんねの里」の前を流れる川の対岸に立つ男女双体道祖神は明治23(1890)年の造立。地元では「脚の神」でもあるので草鞋が奉納されていた。祝言握手像でコモを被っているのも珍しい。像には小豆飯が供えられ、ススキの花穂が飾られていた。聞けば、前日が諏訪神社の祭りだったそうで、その祭りでは、赤飯とススキは必ず道祖神に供えるのだそうだ。 2waraji.JPG
 道祖神は脚の神 草鞋が奉納してある
 
 谷根神社境内には2塔の道祖神が祀られている。そのうちの1塔は肩を寄せ合っている祝言像。正面に「石工 源之丞」と記名があるのは、この作品に自信を持っているためなのだろう。浮世絵を思わせる浮き彫りは、美術作品のようだった。もう一つは肩組み握手像。この2塔は天目塔や水神などと並置されていたが、いずれにも穂ススキが供えられていた。3-1.jpg                      
レリーフのような男女双体道祖神

柏崎市山口地区
 次に探したのは「首と寸」で「道」(いわゆる異体字)を表していると思える道祖神。資料にある地名で探したが見つからない。大きな構えの農家のご夫妻がこれから軽トラで野良に出かけようとしているのを発見。道祖神の在り処を聞いた。
 写真を見てもらったら「この道が県道にぶつかる辺りで見たことがある」との言葉をもらう。道祖神祭りはもう行われていないので、地域の人たちにとっても道祖神の存在は消えかかっているようだ。教えられたとおり車を走らせたら、道祖神さんはいらっしゃった。だが猪よけの電気柵が張り巡らされている。それをどうにか乗り越え、持って行った秦野の酒『白笹つづみ』を酌み交わした。傍らに「百八十八番供養塔」が立っていた。
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 首と寸で「道」異体字 坂東33・西国33・秩父34の観音で100 それに四国88札所で188カ所巡礼


 祀り 焼かれる人形道祖神
 9時半過ぎ、柏崎市立博物館に渡邉学芸員さんを訪ねる。約束の時間より少し早かったが、快く迎え入れてくれた。「谷根の道祖神を見てきた」と言ったら、「ぜひ行ってほしい、と勧めるつもりだった」と喜んでもらった。渡邉さんお勧めの道祖神の写真や地図などをいただいた。
 柏崎の道祖神碑の数は秦野の310塔と比べれば少ない。しかし、柏崎など越後の集落では「人形道祖神」が祀られている。渡邉さんのご好意で資料収納室に入らせてもらう。博物館の舞台裏とも言える場所を見学したのは初めてである。そこには、木や藁、紙などで作られた道祖神がたくさん保管されていた。
 これらの道祖神は、小正月のサイノカミ焼き・ドンド焼きに祀られ、そして燃やされてしまう。存命は数日の神である。ドンド焼きで燃やされる道祖神は、私たち人間に降って湧いた災難や病気を一身に受け入れてくれる神で《人形・ヒトガタ、形代・カタシロ》だから焼かれる。「一回性を原則とした道祖神・焼かれる道祖神が、恒常的な神像・石造の道祖神にと変化していった」と渡邉さんは話された。越後には、道祖神は厄病神だからドンド焼きで焼く地区もある。そこからやがて「平穏で幸せに暮らせるように」と願う神として石造の道祖神は生まれた。ちなみに、柏崎最古の道祖神は文化3(1803)年で秦野は寛文9(1669)年が初出である。
1時間半ほどの渡邉さんの話は興味深く、しかも楽しいものだった。渡邉さんの部屋のの窓の向こうに日本海が青く広がり、佐渡が見えた。
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 柏崎市立博物館を辞し外に出たら朝の天候と打って変わり真夏日。渡邉さんからいただいた詳しい資料も加わったので、これからの道祖神探しは楽になると思った。


 目指す道祖神にお会いするにはかなりの労力が
 道祖神めぐりを始めて分かったことの一つが道祖神の在り処はそうたやすく発見できないということ。その理由は
@開発により移されたり、不明になっている道祖神があること。
A道祖神祭りが行われない。あるいは縮小を余儀なくされているので、地域の人たちにその存在が忘れられ始めていること。
B道祖神の資料集は発行されているが、所在地が明記されていないこと。
こうしたことにより、尋ね当たるまでにはかなりの労力を要する。だから対面できたときの喜びはことのほか大きい。
 先ず探したのは旧広田地区(引地) の「通称・三社宮=正式・天照大神社 付近の道祖神」。「三社宮の下・K氏宅の左横土手」と記録されているもの。神社はすぐに見つかったが道祖神は見当たらない。目標のK氏宅はすでに生活が放棄されていた。
ようやく出会えた小学生を持つお母さんが、真昼の暑い中を現地までご一緒してくださった。K氏宅の右横の土手、生い茂る夏草の陰に道祖神は祀つられていた。「一年に一度しかお参りしないので」とすまなそうに言う案内のお母さん。この道祖神は、地域の子どもが『サイノカミ祭り』を行うということで知られている道祖神。ほそぼそだけど今も「サイノカミ祭り」は続けられているとのこと。少子化の影響がこんなところにも表れている。
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「女神が手にするのは男根。二神の裾が合わさる部分は女陰をかたどる」と解説されている双体像 


 「神奈川から道祖神を見に」は絶大な効力
 次は、同じ地区に立つ「元北条中学校寄宿舎裏手の道祖神」を訪ねた。寄宿舎と思われる建物はすぐに見つかったので裏に回る。だが道祖神は見当たらない。それでまたご近所のお宅のインターホーンを押す。50代と思われる女性が出てきてくれた。訪問販売か布教と思われそうなので「神奈川県から道祖神を見に(お参りに)来た」と先ず言う。この「神奈川から道祖神を」は絶大な効力があって、「まあ」「ご苦労様」という言葉が返ってくる。
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 資料にある「真裏」は、建物から30メートルほどの真後ろの段々畑の畦道に立っていた。寄宿舎からは見えない高さ。神祇の祝言像で、地元の人たちに「耳の神さん」とも呼ばれている。「耳の神」は子どもの耳の病気「ミミダレ」を治す神のこと。谷根地区の「こもかぶり道祖神」は「脚の神」で、これは〈脚気〉を治してくれる神。秦野の道祖神は「万病を直す神」だが、こちらは専門医。三猿の庚申塔、五輪の塔も祀られていた。
 続いて大広田地区の「屋号・サイノカミ宅前の道祖神」を探す。ここでも「神奈川から」と驚かせ、すぐにたどり着くことが出来た。地区の中心・県道も走っているので木の祠の中に安置されていた。肩組み・祝言像で明治9(1876)年の造立。「屋号」とはその地域の人たちだけが分かる家の通称(呼び名)。その呼び名に「サイノカミ」が存在するということは、それだけサイノカミ(道祖神の別称)が地域の生活に密着した神であることを示している。
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 さらに「大広田公民館〜I宅の間・F氏宅上の旧道 堂の中」と記録されている道祖神を探す。公民館とI氏宅の間の道を何度も往復したが見つからない。それで、Iさんの玄関に立つ。Iさんは昼休み中だったが《珍客》に大変興味を示され「道祖神は知らないが観音さんならこの先にあるから」と案内をしてくれた。記録にある公民館とは「旧公民館」のことで、旧公民館とIさん宅の間の道路の擁壁にコンクリートの祠があり、そこに探していた道祖神は祀ってあった。子孫繁栄を願い、男神が女陰、女神が男根を手にするという野趣溢れる双体道祖神だった。
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 ここで今日の探訪は終わり。越後川口SAで遅い昼食。JR越後湯沢駅構内の日本酒ショップ「ぽんしゅ館」の利き酒コーナーで5銘柄を試飲?
posted by echo-take at 16:45| 新潟県 柏崎市の道祖神

2014年03月08日

道祖神の里めぐり 群馬県中之条町


2013年8月28日 道祖神の里めぐり 群馬県中之条町


 男神は手にオンベロを
 

 草津温泉に向かう途中の群馬県・中之条町の伊勢宮参道で道祖神3塔を拝観。中之条町にはおおよそ160塔の道祖神がある。
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 中央、女神は扇を右手に、左手に「ゆう・木綿」を掛けている。ここでは道祖神は養蚕の神でもある。男神は「オンベロ(地元ではこう呼ぶとのこと) 」を持つという珍しい双体像。「オンベロ」とは御幣(オンベ)のこと。
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 左は享保17(1732・「享保の大飢饉」といわれる年)年の僧形像。合掌と宝珠をもっている。
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 右は瓶子と盃の祝言像で女神が左に立つ。(一般的には男神が向かって左、女神が右)
 大きな手など繊細な彫りとはいえないが、それが個性的でもある。ふくよかな体躯は中之条町の道祖神の特徴かもしれない。
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 境内への石段の左手の薮の中に「月読尊」と「猿田彦大神」の塔が立っている。猿田彦は道祖神の元祖でもある。
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 町の歴史と民俗の博物館「ミュゼ」で道祖神祭りの話を聞く。観光協会の案内所にも回り資料をもらう。対応してくれたYさんは、茅ヶ崎で働いたことがあり「同僚に秦野のAさんがいた」と、秦野という地名を懐かしがってくれた。
posted by echo-take at 09:54| 群馬県 中之条町の道祖神

2014年02月11日

神奈川県小田原市・真鶴町・湯河原町 静岡県熱海市

2013年3月27日 道祖神の里めぐり 

神奈川県小田原市・真鶴町・湯河原町 静岡県熱海市

小田原から熱海へ 伊豆型道祖神さんに会いに


     根府川の寺山神社境内に4体

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 道祖神の起源は、村はずれに立つお地蔵さんと言われている。小田原・根府川の寺山神社境内に祀られている4体の道祖神は市重要文化財。いずれも赤い頭巾をかぶった坐像地蔵である。
 小田原・真鶴・湯河原、熱海・函南・三島、そして伊豆半島の東海岸の道祖神は座った地蔵で、「伊豆型道祖神」と呼ばれている。


     寺山神社(根府川)と鹿島神社(秦野市寺山)

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 ところで道祖神が祀られているこの「寺山神社」。祭神は「タケミカヅチノミコト」。祭りには地元の人たちによって「鹿島踊り」という県民俗無形文化財が奉納される。私は秦野市「寺山」の住人で、寺山の氏神は「鹿島神社」。祭神は「タケミカヅチノミコト」。親近感を覚えた。何か繋がりがあるのだろうか。



真鶴町は3カ所を回る
 
 岩忠旅館裏の道路脇に祀られている道祖神には説明文があった。まなづる小学校の東側の塚の上に5体の道祖神。中央の像はひときわ大きく、経文を両手で持っている。目鼻が削り取られたように見えるのは、明治初期の廃仏毀釈の影響だろうか。下あごの張ったいかつい表情は他の4体(地蔵)と異なる様相。伊豆型道祖神の発祥は小松石の産地・ここ真鶴だといわれている。そうだとしたら、この道祖神は沖の漁師たちのために眼力を効かせているのではないか。
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      上の道祖神 昭和5年に再建

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      下の道祖神と解説文(旅館岩忠の裏)


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      東の道祖神・まなづる小学校の東側

 

湯河原町吉浜の素鵞神社 

 湯河原町はサーファーが集る吉浜の素鵞神社。鳥居の脇に5体の道祖神。 
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熱海市・伊豆山神社の道祖神

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      伊豆山神社の桜

 参道の鳥居の脇の花壇を地元の女性が手入れをしていたので「ドンド焼き」のことを尋ねてみた。ところが予想に反して「そういうこと(ダンゴ焼き)はやっていない。お正月の飾り物はこの神社の庭で燃やすけど…」。
 境内に文字碑の道祖神が祀られ傍らに解説板。書かれている言葉は「進むべき道を見失い思い悩める時困難にぶつかり挫折してしまいそうな時一筋の光のごとくに正しい道を指し示し導くださる神様です」。この文言からは抱擁・握手・肩組み・祝言などの双体道祖神は浮かんでこない。

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     伊豆山神社境内の道祖神(文字碑)


 神社の一の鳥居と向かい合うところ(仲道公民館の横)に三体の道祖神が祀られていた。単体・座像だが、像は瓶子(ヘイシ)・酒器を持っている珍しい道祖神である。ここにも説明文がある。

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 伊豆山神社の向かいに立つ道祖神と説明札
posted by echo-take at 10:19| 神奈川県 西部・東伊豆の道祖神