2014年01月24日

長野・安曇野市穂高町

2011/8/19 長野・安曇野市穂高町 
 
 朝の連ドラ「おひさま」の舞台は安曇野。そのドラマにもときどき道祖神が登場する。安曇野には仲むつまじい双体道祖神があちこちに立っている。
大糸線穂高駅前の看板にあるように旧穂高町には83の道祖神が祀られている。文字碑を含めれば130体以上。町のいたるところに道祖神―角を曲がると道祖神が現われる―そんな感じのする地だ。
  
eki.jpg

たばこ屋の角を曲がったら
machi.jpg


信用金庫の入口に
shinkin.jpg


 穂高町の道祖神は他の神仏と共に祀られていることが多い。下は等々力地区で見たその典型的な5塔。
P1010717.JPG
 右から道祖神 甲子塔(大黒天) 二十三夜塔(勢至菩薩) 庚申塔 二十一夜塔(如意輪観音) この5塔の前に無縫塔が立っていた。
 

 秦野地方の双体道祖神は舟後光型がほとんど。安曇野の双体像は自然石に彫り込まれている。服装も冠衣束帯の男神と十二単の女神が多い。道祖神の神殿を線彫りにし、その中に祀るもの。

sentaku2.jpg

 菊花紋の欄間の下に立つものなど他の地方の道祖神にはあまり見られないのがもある。 男女神の頭上にある吉祥紋ともいうべき菊花紋は不老長寿、夫婦和合等の信仰内容を象徴している。単十六花弁で他地域では類を見ない大輪の菊花紋は、左右対称の美的なまとまりを見せ、男女神の神々しさを効果的に表現している。

kiku.jpg

kikuka.jpg

ここにあるのは神殿に菊花をあしらった道祖神。菊の花は永遠の契り、即ち結婚を象徴しており、集落の人々はこの道祖神に良縁や成婚の願いをかけてきた。 菊花紋道祖神は安曇野市の有形文化財第1号に指定されている。 

菊花紋道祖神にまつわるエピソード
「菊花紋は皇室の紋章であり、道祖神に使うなど不敬」ということで、戦時中に官憲から削除が命じられた。しかし、村人は「これは皇室の十六弁八重表菊でなく単十六花弁。この道祖神は徳川様の世に建てたもの。菊紋が使用禁止になったのは明治4年の太政官布告からだ」と抗弁。しかし、官憲はどうしても削れといって聞かない。それで村人は「そんなに畏れ多いものを私どもが削り取ることはできません。どうぞ貴方様がおやりください」と。さすがの官憲もこの言葉で引きさがったという。

                            
 安曇野では彩色された道祖神に会える。年に一度、地域の子供たちが塗り替える、と言う。そのわけは、色を付けることで道祖神の霊力が新たになり病気や災難から護ってくれるから。子供が色付けする。“好み”からすれば、「極彩色は…」。

saisyoku.jpg

 等々力町の道祖神碑(下)の近くの住む女性から道祖神の祭りのことを聞いた。「この道祖神は今は色は塗らない。子供の道祖神の祭りもなくなった。五月に、大人が手料理を持ち寄って道祖神の前で宴会をやるだけ。昔は子供の相撲大会もあったらしいけど」。

kuramae.jpg


 湧き水と北アルプス、そして「おひさま」人気で安曇野はにぎやかだった。だが「道祖神めぐり」で出会った人たちはわずか二組。それでも穂高の道祖神たちは穏やかに私を迎えてくれた。


 今回の安曇野・穂高町の道祖神めぐりで出会った

dance.jpg
 ダンスのステップを踏んでるような


hisago1.jpg 
   大きな盃と徳利・珍しい 
    
koshincolor.jpg
   彩色された青面金剛像と二十三夜塔にも出会う

100.JPG
 道祖神のそばに馬頭観音と百観音の石碑が20基ほど置かれていた

mojihi.jpg
           文字碑

mizu.JPG
    朝の連続テレビ小説「水色の時」の道祖神


az.jpg
        旧穂高町役場前  

posted by echo-take at 10:56| 長野県 安曇野市の道祖神

2014年01月22日

道祖神の里めぐり 群馬・高崎市倉渕町

2011/8/16 道祖神の里めぐり 群馬・高崎市倉渕町 

                                                                               
 『奥の細道』の序章に「道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより」という一節がある。この8月、宿願だった群馬・高崎市の倉渕町(旧倉渕村)と長野・安曇野市穂高町(旧穂高町)の道祖神に会い出かけた。


8月16日
 午前9時少し前、倉渕地区の入り口(三ノ倉落合)で出会ったのが抱擁する道祖神。高崎市教育委員会の解説書には「特異な抱擁像」とある。塔の側に立つ旧倉渕村教育委員会の案内板には「浮世絵を思わせるような夫婦和合像」と記されていた。
道祖神は複合信仰の神で、塞の神、岐の神、結縁の神、子宝の神、豊作の神など万能の神。この抱擁像の他にも、女性の胸元に手を滑らせているもの、下半身に手を伸ばしているものなど、おおらかな神様がいくつも見られるのが倉渕の双体道祖神の特徴の一つ。秦野地方では全く見られない道祖神像である。

ochiaibrg.jpg
annai1.jpg

            
 水沼坂下の握手像はガイドブックなどにも載る特徴のある道祖神。今回ぜひ会いたいと思っていた道祖神さん。お盆で倉渕に里帰りしている女性に出会ったので、像のありかを尋ねたが自信のある答えはもらえなかった。集落からの道が大きく回りこんでいる山道の陰に、頬を寄せ合っている道祖神さんがいらっしゃった。仕草・表情はまさに夫婦円満の象徴。明るい開けた場所に立たせたい。
cheekbrg.jpg


 権田地区の「長井の百庚申」と呼ばれているところに6塔の道祖神があると資料に紹介されている。林道の脇の階段を登ると、生い茂る夏草の中に庚申塔が林立している。文字通り「百」はありそうだった。その庚申塔群の奥に道祖神が祀られている。この地に立つ道祖神と庚申塔は道路改修の際、ここに集められたらしい。

 nagai5brg.jpg okoso.JPG
 nagaiannai.jpg


 長井を通る信州街道は草津温泉に続くので草津街道とも言われ、多くの旅人が行き来した。6基の双体道祖神の中で「御高祖頭巾」の像は「優雅で逸品」と記録されているが、時を経たこととその修復とで価値をうかがうことが出来なかった。倉渕にしかない「元禄びな」と呼ばれる坐像の双体道祖神もある。冬の陽だまりの中で6体に再会したいと思った。

 倉渕地区は道祖神の宝庫といわれている。77カ所、114塔という数はもちろん、造形的に見ても優れたものが多い。こんな素朴で優雅な倉渕の道祖神さんが盗難にあった。下の像は平成3年盗難に遭い、まだ倉渕に戻って来ていない。

 steal.jpg
盗まれた道祖神はこの二体と並んでいた。(岩氷 天満宮)
 tenmangu.JPG


 神明宮境内の道祖神
 shimeigu.JPG


 倉渕中学校横 稲荷社境内の道祖神
 inari.JPG  

 
 握手像だか男神の手は(稲荷社境内)
 brestbrg.jpg


 下水沼の雲上道祖神
 ken.JPG


 平成6年建立 権田地区
 new.JPG
posted by echo-take at 12:59| 群馬県 高崎市 倉渕町の道祖神

2014年01月11日

富士宮の道祖神めぐり

武勝美の道祖神めぐり 富士宮市 2013年3月27〜29日

 バラエティに富む富士宮の双体道祖神  

 富士宮市は広い。(秦野市の約3.8倍)道祖神は村はずれに立つのが普通。カーナビではななか行き着けない。だが同行者の奮闘でお会いしたかったたくさんの道祖神にめぐり合えた。行き会った地元の人たちから道祖神祭りの話を聞かせてもらった。
 富士宮市で初めて出会った道祖神は沼久保の握手像。目を細め出迎えてくださった。次に訪れたのは富士フィルムの西門前の双体道祖神。男神は右手で拝み、左手は女神の下半身に伸びている。その手を押さえている女神。像の後ろに富士の湧水が豊かに流れていた。
fujifilm.JPG
 
 大岩地区は自然石をくりぬいて彫った双体握手像。11面観音像、庚申塔、馬頭観音像などと共に祀られている。陶製の七福神・犬・招き猫などの飾り物も納められている。現代の信仰のありようについて考えさせられた。

 富士宮最古の道祖神は元禄2年(1689年)富士宮最古の道祖神は「富士山にこにこ長屋」という飲食店の裏に立っていた。持って行った歯ブラシで土ぼこりを払っていたら、近所の年配の女性が現れた。そして「きれいにしてくださってありがとうございます」と話しかけてきた。道祖神祭りとダンゴ焼きのことを聞いてみた。ダンゴはミズキに刺すとのこと。道祖神を火中に投げ込むことは、今は行われていないようだ。
fsako.JPG


 山宮保育園の近くの交差点に「向の双体道祖神」は交通安全の標語塔「慣れた道 気のゆるむ道 事故の道」と並んで立つ。男性は笏、女性は拱手(懐手)の像。
fmukai.jpg
 

 大きな手で肩組む道祖神

 田んぼの農道に車を入れ、仕事をしている男性に道祖神の所在を尋ねると、「あの桜の木の下だよ。オレ、もう帰るからもっと車を突っ込んでいいよ」。
 幹本体はとうに枯れてしまったソメイヨシノ。だがヒコ生えは若い花を咲かせている。目指す道祖神さんはその木の下に大きな手で肩を組む。
 精進川の道祖神は「盗難に遭い地域の人が買い戻しここに祀った」説明文が付いていた。舟型双体祝言像で握手しながらヘイシと杯を持っているが、その手は大きい。この2体を富士宮市教育委員会は抱擁像と分類している。
hand2.JPG  fhando.jpg
 

 「大切な広場だから」道祖神場で出会った人の言葉 

 どこでもそうなのだが、道祖神が祀られている前にはちょっとした広場がある。「道祖神場」と呼ばれていて、昔から地域の人たちの祈りの場、交流の場、憩いの場となっている。市原地区の道祖神は一本の大杉の下に祀られている。その道祖神場は、造花だが花が飾られきれいにされていた。
 道祖神の汚れを取っていると、年配の女性が草削りを手に広場に入って来た。そして「お参りですか。ありがとうございます」と声をかけてきた。神奈川から来たといったら、大変驚き、喜んでくれた。
 「6軒でこの道祖神を守っている。きょうはこれから広場の草取り。ここは私たちの大切な庭だからね。この土地の持ち主がここだけは昔のままにしておいてくれる。だからきれいにしなくてはねえ」。
 ドンド(ダンゴ)焼きのこと尋ねたら、広場の片隅の黒い灰を指し、「ここで焼いた」と説明してくれた。ダンゴの木(木の名を聞いたが《度忘れ》してしまったようだ)に三個のダンゴを刺す({三本槍}というらしい)、というのも昔の秦野地方のダンゴの刺し方と同じ。
 「このごろのダンゴは白ばかりで寂しい。昔は赤や緑のダンゴを作ったけど」と言う。集落の過疎化を思った。
fniw.JPG

 
 道祖神は「タムケノカミ」

 集落を抜けると車1台がやっと通れるほどの林道を10分ほど走る。対向車が来たらお手上げの杉林を抜けると山小屋・ほうちん山荘があった。そこにいたるまでに人家は全く見られない。その小屋の前に山羊が1匹つながれている。その山羊が人恋しそうに私たちを見ている。山小屋の先に咲く豆桜(富士桜)の下に立つ袖中合掌像。並び立つ題目塔は『題目』という文字だけが読めた。
 道祖神は「手向けの神」とも言われ、峠に立ち旅人の安全を守る。イザナギが黄泉の国からヨモツヒラサカまで逃げ帰ったとき助けたのが杖。その杖が「岐神・フナトノカミ」。そのことから、旅人は峠に杖を立て旅の安全を祈るようになった。「手向け・タムケ=峠・トウゲ」と解く人もいる。ここの道祖神は今は「タムケノカミ」となっている。この道はいくつか峠を越え身延山久遠寺に繋がっている。
tamuke.jpg


 富士宮の道祖神は 倉渕系・安曇野系・西相模系(秦野系)も 

 秦野の道祖神と富士宮のそれとの違いは明らかである。秦野の多くは僧形直立双体像だが、富士宮は、単体僧形像、直立双体僧形や男女握手像もある。他にも肩組み像、祝言像、更には倉渕の道祖神の特徴とも言える野趣溢れるものも見られた。

  車窓から途切れなき花東名道

 東名高速道沿い、立ち寄った地のどこも桜は見ごろ。富士山本宮浅間大社の朝の桜は
  咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり  虚 子

fu.jpg
 桜の下の道祖神さんはそれぞれ穏やかな表情で私たちを出迎えてくれた。
 大岡信ことば館、若山牧水記念館も訪問。久能山東照宮参拝。浜松餃子、富士宮焼きそば、静岡おでん、しらす掻き揚げ丼、うな重。そして最後に訪れたのは「世界の菓子まつり」。《道祖神とご当地グルメ三昧》の三日間。こういう過ごし方を「至福の時」というのだろう。同行者に感謝したい。
その「ことば館」で見つけた大岡が朝日新聞に29年間・6762回連載した『折々のうた』の最終回(2007年3月31日)に採ったうたは、
 薦着ても好きな旅なり花の雨    田上 菊舎

 芭蕉は『奥の細道』の序で、「道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより」と記している。次はどこの道祖神に招かれようか。
 
ftonan.jpg

 傍らの説明碑に「昭和36年(1961年)に盗難に遭い 昭和47年(1972年)、清水市某所で発見。買い戻した」と書かれていた。
posted by echo-take at 14:50| 静岡県 富士宮市の道祖神